診察室からコンニチハ(50)

私が医学部の学生時代(1970年代)、医師はまだ権柄尽(けんぺいず)くな人が多かった気がします。特に大病院の医師の中に、その様な人が多かった印象があります。まだ医師が「お医者さま」と、呼ばれていた時代でした。結核を始め、多くの感染症が克服され日本人の平気寿命は飛躍的に向上して行きました。乳児死亡率も激減しています。1955の乳児死亡率39.8(出生1000人に対する死亡率)に対して2000年での死亡率は3.2までに減少しているのです。外科手術も格段の進歩を遂げています。
未来に直面する甚大な不治の病よりは、克服されて来た数多くの疾患の上に医師たちは幾らか慢心の思いを抱いていたかもしれません。
それら慢心の裏返しか、または患者さん方の権利意識の目覚めか、医療訴訟が1997年ごろから急増して来ました。1997年(訴訟数310件)、1999年(678件)、2004年でピーク(1110件)を迎え、その後は軽減して2017年(857件)となっています。医療ミスは医療サイドだけの問題なのか、システムに欠陥はないのか(医師の超過勤務 : 週に80時間以上もあり得る)などの問題も昨今は惹起(じやっき)されています。
いずれにしても医師が「お医者さま」から「お医者さん」と名称の変化が生じたのは確実です。
それは聖職者ではなく、知的技術者になった事を意味しているのかもしれません。
そしてパソコンの発達、画像診断の向上、電子カルテの普遍化などにより、医師と患者さんの生(なま)の会話は少なくなっている様な気がします。
病を通じて感情の共有は激減しているのではないでしょうか?
この患者さんの病気を何とかしたい(仕事ではなく、人間として)と云う医師を見かける事は、昨今では稀有になっています。家に帰って、食事をしていても自分の受け持ちの患者さんがどうなっているか常に気になって仕方がないとの、思いに駆られている医師は今でもいるでしょうが、少数にはなっているでしょう。
かく言う私は、60才代後半から少しずつ医師として気力の衰えを感じ始めています。それでも少しは何かの役に立ちたいと願いながら、このブログを3年以上続けています。
次回に続く
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