青田さんへの回答

分かっていても、青田さんの様にご両親の認知症への極度の警戒感や危機感を持ちながら日々の生活を送っていらっしゃると、気持ちが目一杯になって心のバランスが取りにくくなっているのではないでしょうか?人間の精神とは、何でしょうか。
哲学的に言えば古今東西、多くの人たちが限りない議論を重ねていますので今回は、私の独断と偏見を述べさせて頂く事をお許し下さい。それは、
「知識(教養)と理性、そして感情の3つからなる要素の複合体」
であると考えています。
この中で最も上位に占めているのが「感情」であると、私は理解しています。多くの人間は「理性」や「知識」で何とか自分の「感情」をコントロールしようと努力しています。
しかし、ある種の思いに心が満ち溢れ出すと精神のバランスが崩れやすくなります。
つまり、「理性」や「知識」だけでは「感情」のコントロールが困難になってしまうのです。それを救うのは何でしょうか?
私は「覚悟」と「諦観」であると考えています。人の世は、どんなに努力しても報われない事が多いのです。まして『認知症』と云う学問は未完の部分が多いのです。何人かの医師に相談しても単純に解決がつくものではないのです。
時に医師は何でも知っているとの誤解がありますが、それは大きな間違いです。彼等(私も含め)は医学の「カケラ」を知っているに過ぎません。そこに医学以外の深い教養(文学、哲学など)が加われば、医学の「カケラ」と合わせて精神社会の不可解な部分が幾ら推測出来るのです。ただそれだけです。人間的に教養の薄い医師たちは、そんな医学の「カケラ」だけで何でも知っているかのような顔をしているだけです。
ですから認知症であろうと、これは自分の親であるとの認識(愛情)から、その老いて行く過程を温かく見守る覚悟も必要ではないでしょうか。その様な覚悟から心に余裕も出て来るのです。「認知症」と云う老いの現象と精一杯向き合いながらも生きて行くしかないのです。医師と云うよりは、私も青田さんと同じ人間として日々の困難に向き合いながら、他人には言えない苦労(精神疾患を持った肉親と同居しながら)は抱えているのです。10年以上は大学を含めた専門医に相談しながらも解決のつかない肉親の精神状況に、日々悩み続けているのです。ただ認知症を学んでいる医師だけではないのです。毎日を何かに祈り続けている哀れな一人の人間でもあるのです。
この10年、医師と云う人間たちにどれだけ失望を、感じた事か?
やはり肉親に、認知症を含めた精神疾患を抱えた家族と、そこに心の痛みを知りぬいた少数の医師だけが、手を取り合って日々の困難さに立ち向かって行くしかないのでしょう。
     2019. 正月 3日
【ご質問」
成川様お世話になっております。
私は、母親に最近、暴言が多く、間違いを指摘してしまいます。
今日、母親は、本当に悲しそうな目で
『自分が認知症であることを知っている。』と言ってました。
母親は、『自分なりに必死に認知症と戦っていたようです。』
それを観て、今までの自分の言動を反省し、もの凄く、後悔しました。私自身、涙が出ました。
辛いのは、家族以上に本人なのですね。
よく、認知症患者にたいして、間違いを指摘せず、
褒めることが大事と言われますが、
成川先生が、以前から、認知症を治すのは、家族の『愛』『思いやり』と語っておられましたが、
これからは、母親にたいして、『愛』『思いやり』で、接したいと思います。
願わくば、少しでも、改善、進行を遅らせられてばと思っています。
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