認知症詩集(42)

認知症、この難解な病気に新しい朝が来るのであろうか?
総ての認知症を根本から解明し、完全な治療法が見つかるのであろうか…
私は不可能であると思う。
何故なら、それは不老不死への
治療法に他ならないからだ。
総ての認知症に可能な治療法とは、ある意味で不老不死への挑戦と同義語である様な気がしてならない。
紀元前250年前の秦の始皇帝以来、不老不死への憧れは人類永遠の願望である。何千年も生き抜いて来たと云う仙人伝説も枚挙に暇(いとま)がない。
では、認知症の治療法は永遠に見つからないかと言うと、それ程悲観に成る事もないと思う。
ある種の治療可能な認知症は幾つか見つかると思う。
同じ癌と言っても早期癌の治療成績には抜群の数字が示されている。また癌の種類によっては治療成績に格段の差が認められている。進行の早いもの、遅いものと一口に癌と云う言葉だけでは、その治療成績を簡単には評価出来ない。
それと全く同じ事が認知症の治療法に当たっても言えるのではないだろうか?
かつては老人性認知症と一括りにされていたものが、アルツハイマー型認知症ATD、前頭側頭型認知症FTD、レビー小体型認知症DLBと区分されています。
さらにFTDもピック病、意味性認知症、進行性非流暢性失語と細分化されています。
この様に認知症もより医学の進歩と共に細分化されて行くでしょう。そして更に難解な認知症も発見されて行くでしょう。
それは胃癌にも何種類もの癌細胞があって夫々に悪性度に違いがある様に認知症の種類も悪性度により複雑化して行くものと思われるのです。
その意味では治療可能な認知症と治療困難な認知症か明確になって行くでしょう。
始めに認知症の治療は不老不死への挑戦だと申し上げましたが、それは永遠不滅的に医学の進歩と歴史が続くと申し上げているのです。治療法の確立した病気もあれば、より困難で難解な病気も新しく出現して来ると云う意味です。
それは認知症と云う学問にしても同じ事が言えると思うのです。
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