認知症詩集(55)

認知症夜話の続編
貞子さんの「妊娠した」の繰り返し話しにはナースも医者も黙って、ただ笑うばかりです。
肝硬変症と云う病気が貞子さんの認知症(たぶんアルツハイマー型認知症)を、どんどん悪化させていた様です。
ただ、その当時の医学ではアルツハイマー型認知症と云う知識が乏しく、一般的には老人性認知症と呼ばれていました。
一方、夫の良雄さんの認知症は進行具合が遅く、正常な時間帯と、認知症の時間帯が交互に来る「まだら現象」を呈していました。ですから外見的には全く正常にしか見えない事も多かったのです。
そんな良雄さんが病院に見舞いに来る度に貞子さんから毎回のように「妊娠、妊娠」と言われ、何の事か意味が分からず戸惑っていました。良雄さんの意識が正常の時間帯は、妻の妄想状態が理解できました。これは老人性認知症が言わせているのだろうと…
しかし良雄さんが認知症の時間帯に入り出すと、妻の妊娠話が急に本当の事の様に思えて来たりしました。妻とは、この20年以上も夜の夫婦生活など一度も経験した事がないのに何故妊娠などするのかと思い悩みました。彼の頭の中は混乱するばかりです。
肝硬変症で腹水が溜まっているだけだと、幾度とも無く医師の説明を受けるのですが、分かる様な分からない様な悶々とした日々が続いていました。
息子夫婦も医師と同席して、肝硬変症と腹水の因果関係の意味を諄(くど)い程に話してもらうのですが、その時は分かった気にもなるのですが、1~2日するとまた説明の意味を忘れてしまうのです。
「何故、肝臓が悪いと腹が大きくなるのだ」と云う意味が理解出来ないのです。時には分かった気にもなるのですが…梅雨空の合間の6月下旬、蒸し暑さで妙に心身共に不快な日でした。良雄さんは昼間からチビリチビリ酒を飲んで夜の6時過ぎに病院にやって来ました。その日は日曜で面会客も多かったのですが、多くの面会客は自分達の夕食の支度もあって6時半頃には帰ってしまいました。
妻の貞子さんは三人部屋の窓際のベッドで寝ていました。その頃には夫の良雄さんが誰だかも判断が尽きかねていました。
その意識が正常の時間帯に近かった良雄さんが「貞子、体の調子はどうだ!」と労わる様に声をかけた所、また彼女の妊娠話しが盛り上がりました。
「もうすぐ赤ん坊が出て来る!早く赤ちゃんを産んでしまいたい」と、繰り返し話し続けるのです。
良雄さんも我を忘れ、「一体誰の子や、誰がお前のお腹をそんなにしたのだ」と詰め寄りました。「そんな誰の子やと言われても、そりゃあんたの子でしゃろう」と言うばかりです。
明日に続く


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