中沢家の人々(1)

「うるさい!」
朝、起こしに来た女房の富江に貞雄は怒鳴った。
「あんた、いま何時だと思ってんの。今日も普請場に行かないつもりかい」
「今日は雨だ、仕事は休みだ。二日酔いで頭がガンガンしているから寝かしといてくれ」と言って、そのまま布団を頭から被ってしまった。
「何が雨なのよ、外は良い天気だわ」と言って、富江は雨戸をガラガラと開けた。外は澄み切った青空である。
「そんな事ばかり言っていると、何処の普請場でも雇ってくれないよ」
と、嫌味を言ったが貞雄にはまるで起きる気配がない。
これ以上、押し問答しても仕方がないと諦め店の厨房に戻った。そろそろ昼の仕込みにかかる時間だ。
1956年7月末のこの時期、息子の清吉が何も言わず店の手伝いを、よくしてくれるので本当に助かる。
高校3年生ながら料理の腕前はそれなりのものがある。夏休み中は清吉が大きな戦力になっている。富江の母は68才となるが口ほどに体は動かない。
「今日もお父さんは仕事に行かないで、二日酔いで寝ているのよ」
と、富江は愚痴ったが清吉は無言で仕込みを続けている。
「お父さんの我が儘にも困ったもんだ。腕は良い大工なんだが、自分の納得の行かない仕事だと、直ぐに休んでしまう。仕事に好き嫌いが多すぎるのさ」
と、富江は誰に言うともなく未だ愚痴っている。
「あれが親父の生き方さ、何時だって自分の納得が行く仕事を求めているのだ、夢を追っているんだよ」
と、清吉は仕込みの手を少し止め父親を庇った。
「お前は本当に優しい子だね。しかし、そんなに自分の好きな仕事ばかりが何処にでも転がっているもんでもあるまいし」
「確かに、そうだが。でも、その内に親父も気づく日が来るさ」
と、17才の清吉は妙に大人じみた言い草をした。彼は父親に富江とは違った思いを抱いていた。大工職人の貞雄に憧れを抱いていた日もあったのだ。
貞雄は元々が腕の良い大工職人だった。ただ酒好きで時々は仕事を休む事もあった。棟梁の腕を持ちながらも他人を束ねる事が苦手で、それに少々喧嘩早いのも災いして実力以上の評価がなされなかった。
プライドが強く気に入った仕事と、そうでない仕事の区別も激しかった。
遣り甲斐のある仕事だと、10日も20日も酒の一滴さえ飲まない事も度々あった。
逆に安普請の誰にも出来るような仕事の時は
「何で俺が、こんな仕事を頼まれなきゃならないんだ。
嫌だ、嫌だ、犬小屋を建てるようなケチな仕事ばかりやってちゃ、この腕が腐るじゃないか」
と、無理やり引き受けさせられた仕事の時は、どうしても酒を飲んで休む日が多くなった。斑っ気(むらっけ)と云うよりは、職人として何時も最良の仕事に憧れていたのだ。
しかし1956年、戦後11年たって日本経済の復興も順調ではあったが、貞雄が大工職人としての魂を打ち込める様な仕事は殆んどなかった。
明日に続く
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