中沢家の人々(3)

しかし、貞雄は成金主義の注文は嫌ったし、趣味の悪い短時間の仕事も嫌った。
それでも自分の我が儘だけを通して好きな仕事だけをする訳にも行かない。
だから、時には妥協してそれなりの仕事はしていた。
注文主に、煽(おだ)てられ機嫌良く仕事に精を出す時もあれば、材料費をケチられ、そのまま酒を飲んで不貞寝(ふてね)をしてしまう事も多かった。
その分、どうしても大工仕事の収入は安定しなかった。
ただ、食堂「ことぶき」の売り上げは順調に伸び、使用人の数も少しずつ増えていった。貞雄が意地で造り上げた店に客はどんどん集まって来た。
「ことぶき」新築と同時に雇い入れた仲道と云う30才代後半の板前が、愛想も良く料理の味付けも評判が高く、店の売り上げに大きく貢献していた。
清吉は、高校一年から学校に行きがてらも仲道の許で、料理の基本を習った。
夏休みや春休みの長期休暇はもちろん、普段の日でも学校から帰ると直ぐに厨房に入って来た。
元来が料理好きなのだ。そんな清吉を板前の仲道が手を取り足を取り徹底的に鍛えた。時には罵声も飛んだ。
「ダメだ、そんなに強火にしちゃ。料理の基本は火加減、煮加減、味加減だと、何時も言っているだろう」
と、厳しく叱られる時もあったが清吉は従順に、
「すいません、ちょっと学校の試験の事を考えていたもので」
と、謝った。
すると逆に
「清ちゃん、学校の試験が気になるなら、学生なんだから勉強しな」
「でもそんな事をしたら仲道さんが困るでしょう」
「大丈夫だよ、そんな事より試験を気にしながら包丁でも使おうものなら、手でも傷つけるのがオチだ。ともかく今日は勉強しな」
と、労ってくれたりもした。
「それでは今日の所は、お先に上がらせて頂きます」
と、仲道の言葉に甘える事にした。
確かに定期試験の時は、食堂の手伝いは辛い。
高校三年の12月、最後の定期試験だ。清吉の意識は常に料理の腕前を上げる事に向かっていたので、学校の成績は良くなかった。
それでも高校生活、最後の試験で赤点は取りたくなかった。
しかし12月は忘年会の季節でもある。普段よりは店も忙しい。午後4時過ぎに学校から帰ると、直ぐ厨房に入る清吉だが、さすがに最後の定期試験だけは勉強をしたかった。
仲道は、それを察してくれた。母の富江も料理の手伝いはしたが清吉の半分近くしか役にはたたなかった。
富江の母親は68才で、掛け声は良かったが近頃、頓(とみ)に体の動きが鈍くなり、レジの会計が専門になっていた。それでも、
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
の声には未だ若い時の気力が残っていた。
明日に続く
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