中沢家の人々(6)

清吉も21才になった。富江は51才、仲道を筆頭とした「ことぶき」の店は、わずか10人足らずの職員で年間4億円近い純利益を上げていたのである。未だ小僧ッ子の清吉にも母の富江にも金の使い道が分からない様な金である。
もっとも怖い相手は税務署である。その当時の税法では「金持ちは罪悪なのでなる。個人所得税と住民税を合わせると純利益の85%(昭和49年まで)が税金となっていた。年収8千万円以上では…つまり1億円の年収だと手取り額は1千500万円にしかならなかったのだ。
ここに日本の脱税(節税?)の秘話の問題が至るところに発生する要因がある。
例えば美術館と云う財団法人を設立して個人所得の大半を寄付すれば、その寄付金額は所得税から免除される。その様な理由に基づくものか高額所得者による美術館設立が大流行と時代になった事があった。
プロ野球の選手やプロゴルファーで実力のある人達の多くが米国に逃げるのも、そう言った酷税が最大要因だ。
1987年代のみを見れば個人所得の最高税率は日本が60%で米国が38.5%だった。この上に住民税がさらに加わるのだ。正に酷税である。日本国民の高額所得者はあらゆる知恵をしぼって節税に努めていた。
富江や清吉が経営する「ことぶき」でも例外ではなかった。
仲道の紹介で有能な税理士も味方につけた。何を何処まで経費化できるのかの研究も徹底的になされた。どんな高級料亭で食事をしようとも、料理研究と云う名目で経費化するのは初歩の話しである。実際に高級料亭で自分たちの舌を肥やして行くのは合目的である。
清吉は仲道に幾つもの料亭に連れて行かれ、
「清ちゃん、このダシ汁がどんな調味料を使っているか当ててごらん」などと言う質問は常日頃の事である。
「え~と、昆布と鰹節とですね」などと、
清吉が答えたりするものなら、直ぐ仲道から叱責が飛んで来る。
「そんな幼稚な事を聞いているんじゃないだろう?…夫々の産地を聞いているんだよ!」
清吉はうつ向き加減に、
「函館の真昆布ですか!」と、
答えると次にまた容赦の無い質問がくる。
「何故、函館の真昆布なんだい。当てずっぽうに言っちゃダメだよ」と、叱られる。
「当てずっぽうではないですよ。この上品な香りとうまみの澄んだ感覚で言ったんですよ」と、清吉は少しムクレタ顔で答えた。
仲道は満足気に
「清ちゃん、凄いね!そこまで分かっているとは思わなかった。いや、俺の言い過ぎを謝る」と、彼は微笑んだ。
こうして清吉の料理人の腕前は確実に上がっていった。
21才の清吉は遊びらしい遊びには全く興味を示さず、料理の腕を上げる事に夢中だった。
25才の時に清吉は、21才の紀子と結婚した。母一人、娘一人の薄幸の母子であった。
明日に続く
関連記事

コメント