中沢家の人々(10)

母子それぞれの生活が始まって一年と云う月日が流れた。
町工場の仕事は夏場は厳しい。
一般家庭や工場でエアコンと云う装置は未だ一般化していない。真夏の工場は炎天下の外より未だ暑い。ただ紀子の仕事場は8畳程の経理事務所なので扇風機で何とか暑さを凌いでいた。それでも全身に滴り落ちる汗は防ぎようもない。
工場内で働いている人々から見れば、ずっと恵まれているので紀子は可愛い笑みを崩す事なく経理事務の仕事に専念していた。そんな紀子に工員の誰もが好感を抱いていた。第一回目の簿記2級の試験には合格出来なかったものの、その半年後には無事に2級の資格を得る事も出来た。
道子とは月に一度の割合で昼食を共にした。それも紀子の方から箱根まで出かけての再会である。旅館の女中に取って日祭日の休みは厳禁なのだ。
一方の紀子は日曜日以外に休みはなく、その日曜も出来る限り簿記の勉強に費やしていたかった。それやこれやで月に一度の親子の再会が精一杯である。
新宿駅で涙の別れをした後は、毎週のように箱根まで出かけ道子と会いに出かけて行ったが時の流れは恐ろしいもので、それさえ妙に鬱とうしい気分になって来た。日常の生活が慣れるにつれ母と会うよりは簿記の勉強に少しでも時間を多く使いたくなっていた。
ともかく人は生きなければならない。それは母子の情愛よりも時には優先されるものかもしれない。
所詮、人間は一人で生きなければならないのである。
産まれて来る時は母の狭い産道を手助けはあるものの一人で抜け切って来なければならない。
死んで逝く時も棺の中がどの様な色取りどりの花に飾られいようとも、火葬場の中に入ってしまえば残るのは骨だけの人骨だけである。
だから時に情愛の哀しさに泣く事があっても、現実の時間の流れの中では人それぞれが生きる原点に戻るのである。
道子も紀子も、やはり夫々に生きる原点に戻るしかないのだ。
情愛だけで人は生きては行けない。
明日に続く
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