中沢家の人々(16)

紀子の工場に勤める工員とほぼ同年齢の清吉との差は何だのだ。何と礼儀正しい、高校卒とも思えぬ品性さえ感じる。それに店の繁盛振りが凄い。これは簿記の1級とか2級とかの話ではないかもしりない。清吉のきりりとしまった男振り、そして女の第六感として分かる誠実さと本物の優しさ、こんな男がいるのだと云う驚きで、紀子は清吉に異性の存在を始めて意識した。
この日の懐石料理は、殆んどが清吉一人で調理された。仲道のアドバイスも少しあったが9割以上は清吉一人でやり遂げた。
清吉も紀子との初対面で、やはり生まれて初めて異性の存在を意識した。まるで汚れを知らない純潔そのものの乙女を目の当たりにして、清吉は男である自分の感情を徹底的に抑えた。
複雑に入り乱れた自分の感情を抑える為にも、より料理に専念して行った。
先ずは正午の懐石料理の手順により折敷(脚のない善)に飯碗、汁碗、向付が置かれ、手前に利休箸を添える。箸置は用いず、箸は折敷の縁に乗せかけてある。飯碗は吹きたての柔らかい飯に少量盛り、汁碗の味噌汁も具が頭を出す程に控えめの量にする。向付は一汁三菜の一菜目に当たるもので、お造り(刺身)などを盛る。
酒は客が汁を飲み切った頃合いを見て、亭主が銚子と盃台を運び、客に酒を注ぐ。紀子と道子は酒の代わりに緑茶を貰った。
この母子には、この様な本格的な料理は生まれて口にするばかりのものである。素材も一つ一つが極上の物が洗練されている。
「清吉さん、また一段と腕を上げたな。これならどんな料亭の花板も勤められるな」
「先生、ご冗談を言って行けません。私ごとき半端者を使ってくれる料亭など何処にもありませんよ」
すると仲道が横から口を挟む。
「先生、本当なんです。近頃の清吉さんの上達振りには目を見張る物があります。もう、私なんか何時お払い箱になっても良いくらいですから…」
「冗談言っては困りますよ、仲道さんがあっての『ことぶき』なんですから…」
「大丈夫だ、清吉さん一人だって立派にやって行けるよ」
「まあ、良いや師弟愛の美談はそれくらいで、それよりは清吉さんのご両親はどうなさった」
「はい、母はただ今やって来ます。父は生憎急ぎの大工仕事があつてどうにもお顔出しが出来ず申し訳ありません。お母さん、こっちだ。何だ、エプロン姿なんかで…」
「申し訳ありません、こんな無作法な格好で…私が清吉の母の富江です。こんなむさ苦しい所に起こし頂き有難うございます。まあ、そちらのお嬢様が紀子さんで何とも可愛いらしい。
清吉、お前はそれで料理の研究を昨晩遅くまでやっていたのだね」
「お母さん余計な事を話すもんじゃないよ。第一初対面の人に失礼じゃないか」
そう、母をたしなめながらも清吉の顔は真っ赤だった。
工場長の兄が横から口を挟んだ。
「二人とも満更でもなさそうじゃないか。どうだい少しお付き合いをしたら、紀子さんのお母さまはどう思われます?」
道子は急に話しが自分に振られて来たので、少しドキマキしながら、
「それは、もう紀子次第です」
と何とか答えた。
明日に続く
関連記事