中沢家の人々(22)

貞雄が大工職人として、最も輝いていた時期でもあった。
「ことぶき」の事実上のオーナーは清吉であったが、母の富江が会計上の実権はまだ握っていた。それまではどんぶり勘定の「ことぶき」であったが売り上げが急成長するにつれ税務署の監視が厳しくなって来た。税務知識の何かを知らない富江ではどうにも対応が出来なくなって来た。
紀子の簿記2級の知識がそれなりに富江の支えになった。富江は実の娘と変わらない程に紀子を慈しんだ。紀子も実の母と同じ様に富江を慕った。
清吉と紀子の夫婦仲は、殆んど恋愛の延長にある様な関係であったが何故か子宝には恵まれなかった。余りに恵まれた家庭には運命の神が時に嫉妬するのか!…結婚1年後、1度だけ数ヶ月間生理が止まったが流産で終わってしまった。
紀子の流産が判明した半年後に
今度は富江が毎日の様に、
「疲れた、疲れた」を連発し始めた。
清吉が幾度とも無く、
「お母さん、一度病院に行ってみたら」と促すが、
「な~に、3,4日も寝ていれば治るよ」
と言って清吉の話に耳を貸さなかった。それから10日たっても富江の体調は少しも軽快しない。さすがに気になって近所の木村医師の往診を頼んだ。
医師は富江を診るなり、
「これは貧血が酷い。直ぐに入院させて輸血をしなければ大変だ」
と言い出し、さすがの富江も渋々入院する事となった。近くの総合病院に入院となり輸血をしながら貧血の原因を調べた結果、子宮癌が発見された。殆んど末期癌である。恐らく富江の身体はかなり前から少しずつ子宮癌に蝕まれていたのであろう。直ぐに子宮摘出術と抗癌剤投与が実施されたが肺炎の合併で入院後2ヶ月で帰らぬ人となってしまった。葬儀等で「ことぶき」は1週間の臨時休業となった。
貞雄は富江が亡くなってからは、張りの切れた糸の様に昼間から酒を飲んでいる事が多くなった。誰も彼に大工仕事を頼む人もいなくなってしまった。
そして益々彼は酒に溺れて行った。
仕方なく清吉は大久保駅近くに40坪程の家を一軒買い求め、そこに貞雄を家政婦と共に住ませた。しかしどの家政婦も半年とは続かなかった。貞雄の酒癖の悪さに皆んな逃げ出してしまうのだ。
もちろん自分達と同居出来る訳もなかった。同居ともなれば、紀子との夫婦仲が悪くなるだろう。それよりも箱根にいる道子が自分達と同居する事を清吉は強く望んだ。
それなりの資産も出来た現在、紀子の母に旅館の女中奉公を続けさせて置くには親不幸を見過ごしている様で何か心苦しかった。しかし清吉と紀子の如何なる説得にも道子は頷かなかった。
次回に続く
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