中沢家の人々(23)

「ことぶき」は更に躍進していた。1968年11月、紀子と結婚して4年半、母の富江が亡くなって2年後に新宿西口に「ことぶき」の2号店の落成式が盛大に催された。清吉が若干29才、紀子25才の年であった。
2号店の建築には、さすがに貞雄は加わらなかった。新宿の一等地に建坪120坪、2階建ての小粋な建物が出来上がった。
家の造作には、貞雄が心血を注いだ本店の建物には少しばかり見劣りするが、客を居心地良くさせる工夫は充分に成されていた。坪庭も随所に置かれ客の目を楽しませていた。
新大久保の本店は仲道が支配人となり新宿店は清吉が総指揮を取った。仲道に何とか良きパートナーを紹介しようと何度となく試みたが、彼はどうしてもその話には乗って来なかった。
仲道を慕い抜いて自殺した菊乃の幻影が彼から付いて離れなかった。そこに彼の男の一本木があった。当時22才であった菊乃と31才の仲道が添い遂げられなかった哀しい運命には、彼にとって大きな禍根となっていた。しかし、それも遠い昔の話であった。
人は夫々の運命に逆らうことが出来ない。
今や十数億の資産をもつ清吉は文字通りの青年実業家だ。
しかし彼はどんなに若い女に言い寄られても紀子以外の女には決して興味を示さなかった。そんな清吉を紀子が好ましくない訳がない。何処までも彼と寄り添いたいと願って止まない。
だが、どんなに愛し合っても子宝に恵まれない夫婦は幾らでもいる。彼等もそんな夫婦の一例であった。
「ことぶき」はどんどん栄えて行く。しかし後継者がいないと云う致命的に大きな問題を抱えていた。
一方の貞雄はアルコール中毒が酷くなるばかりで、道路上で寝たり隣近所で小さな諍いが絶えず警察から呼ばれる事も多かった。家政婦も取っ替え引っ替えで一人の家政婦だけでは面倒が見切れず3人の交替制で、手当ても通常の1.5倍は支払った。
その頃の清吉は充分な資産の備蓄があり、父親一人の世話にどの様な金が掛かろうと気になる事はなかった。
そんな金よりも「ことぶき」の発展と紀子との夫婦愛が最優先された。それにしても子宝には恵まれなかった。
清吉は30、紀子は26になっていたが二人とも未だ若い。そんなに焦る年でもなかった。夜の営みは月に10回近くはあったが彼女に妊娠兆候が出て来る気配は一向になかった。今の二人には、それが最大の悩みであった。
次回に続く
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