中沢家の人々(29)

こうして貞雄は病院からの迎えの寝台車に同乗して伊豆に転院となった。6月初旬の小雨の降る肌寒い日であった。東京の病院を出たのは午前11時であったが、清吉も紀子も泊まりがけの心積もりで出掛けた。仲道が丹精して作り上げた3人分の弁当まで持参していた。
この頃には貞雄も普通食に近い物を食べられる様になっていたが、仲道は貞雄の為には軟飯の嚥下機能を充分に考慮した食べ物を慎重に作り上げていた。
この弁当一つを取っても仲道の人間性が滲み出ている。遠くから拝みたいほどの彼の心尽くしである。
それにしても伊豆への道は遠かった。現在と比べ道路事情も悪い。1969年東名高速道路の開通、1967年湘南バイパスの開通と道路事情を大幅に改善していたが一般道路は未だそこまで追い付いてはいけなかった。途中休み休み4時間もかかっての転院である。午後3時半には何とか病院にたどり着く事が出来た。皆んなが心身共に疲れ立てていた。清吉はドライバーに1万円のチップを差しだした。
ドライバーは驚いた、彼の半月分の給料に当たる金額だ。病院での入院手続きが終了したのは午後4時半、3人共に疲れ切っていた。個室の差額代が1日5千の特別室だ。伊豆まで来ると物価水準もかなり違うようだ。
午後6時過ぎ病院に近い旅館で二人はやっと寛ぐ。夫々に大浴場で汗を流し7時に夕食を取る。食後は少しだけテレビを見て10時前には寝てしまう。ともかく疲れが鉛の様に重く感じた。この日、夜の営みなどはまるで忘れ果て倒れる様に眠ってしまった。
それにしても紀子の不妊原因が判明してから、二人の夜の営みは徐々に遠のいていた。月に10回から8回にそして6回に、さらに週一回にと…
個人差はあるとしても清吉が33、紀子29才である。共に男盛り、女盛りである。
性愛とは欲望であり、そして労わりでもある。子宝に恵まれない夫婦には未来への果てしなき希望でもある。長い夫婦生活では思いも複雑である。幾つもの挫折感と言い知れぬ情愛が幾重にも重なっている。
哀しき人間の性(さが)の一つの象徴とも言える。紀子を愛しく思う反面、何とも言えぬ微妙な心の変化が生じている。清吉自身にも自分のそんな心の変化に気付いてはいない。でも何処かで自分の子宝が欲しいとの思いは抑え切れない。未だ清吉は32才である。事業拡大と後継者問題は切り離して考えられる程に成熟してはいない。養子縁組も一つの選択肢ではあるが、やはり血を分けた我が子が欲しいと言うのが本音ではある。
次回に続く
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