中沢家の人々(35)

1年程前から清吉の金の使い方も度を超えて激しくなって来た。そして店にも殆んど顔を出さない。仲道もかなり心配しだし、
「清吉さんも、いや失礼しました。社長さんも一体どうしちまったのですかね?…まるで人が変わってしまった様じゃあ無いですか!あれ程一本気で商売熱心だったのに」
と溜息まじりに語ることが多くなって来た。
「いや、あの人の一本気な性格は今も昔も同じですよ。ただ風の向きが変わっただけです」
「今はただゴルフ熱に血道を上げているんですよ」
「でも、ご自宅にも殆んどお帰りにならないとも聞きましたが!…申し訳ございません、私ごとき者が余計な口出しをしまして」
「良いのよ、仲道さんは副社長だし、あの人に料理のイロハを教えたのも貴方だし…」
「とんでもございません、全ては社長の精進の賜物です。それにしても何故ご自宅に帰って来ないのですかね?」
「良く分からないの。でも何か世界中のゴルフ場を回るのが目標だとか言っているのよ」
「世界中ですか?…それは又ずいぶんと剛毅な話ですな!」
「そう言った意味では何にでも一本気なのよ。良くも悪くもね!」
まさか紀子の口から清吉に女が出来て、自宅には帰って来ないとは如何に仲道とはいえ話せなかった。確かに、これまでにもハワイなどにゴルフ三昧の旅行に出掛け一週間ほど家を空けたりした事はあった。それでも、その間に電話の何回かはあった。最近では一週間どころか10日でも電話の無い事も数多くある。どう考えても尋常じゃない。
仲道との遣り取りから半年程した1978年11月、紅葉の見事な箱根に紀子は一人出掛けた。
母、道子の勤める旅館に泊まった。公休日であった道子は紀子と共に客として母娘が同じ夕食についた。
「母がいつもお世話になっています」
と言って仲居に1万円の入ったポチ袋を手渡した。
仲居が戻ってから道子が、
「お前、今いくら渡したの?」
「まあ、お母さんの立場もあるし1万円ですけれど、それが何か!」
「お前、それは多すぎるよ、その半分でも良いくらいだと思うけれど」
「まあ、聞いて下さいお母さん。そんな事より東京に来て私と一緒に暮らして下さい。お願いしますから!…お母さんも56才ですよ、もう少しは楽をしても良いでしょうに」
「そんな事を急に言われても、私はこの通り未だピンピンしてますよ。余り人を年寄り扱いして欲しくないね」
「お母さん、そんな意味ではないの。私を助けると思って東京に来て欲しいの!」
そう語りながら紀子は目に涙を一杯ためていた。
次回に続く
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