中沢家の人々(40)

その後の紀子は有限会社「ことぶきグループ」を株式会社に変更すべく走り回った。
現金資金は山ほどある。その現金を紀子名義の定期預金にして銀行から資金集めをした。つまり銀行には預金担保を設定して、その担保の上に銀行から資金調達をすると税務対策の処理がスムーズに行く。
その税金対策後の銀行融資で「ことぶきグループ」を紀子名義で買い取り、株式会社の社長に自分がなる算段が必要であった。
有限会社の社長は清吉であったが、それには出来る限り安くこの有限会社を買い取りたいので清吉には1億円の小切手で納得させたかった。恐らく5億円以上にはなると考えられる清吉の資産をどうにかして1億円で手にしたかったのである。
その小切手を顧問弁護士に預け、有限会社を手放す様に清吉を説得させた。弁護士は清吉のマンションに出向き彼に事の内容を説明した。
「中沢さん、奥様は貴方に会社を任せて置いては会社が潰れてしまう。これからは奥様が会社経営をして行くと言っておりました。もし、この条件で納得出来ないなら離婚訴訟を起こし、膨大な慰謝料と財産権の分与をするとの主張でした。多分、離婚訴訟にでもなれば貴方に勝ち目はないでしょう。
この何年も店の切り盛りは奥様が一人でやっているのでしょう。貴方は社長としての仕事は何もしていないと聞かされています。もし離婚訴訟に負ければ1億円はおろか5千万円も貴方の手には残らないでしょう」
とまで弁護士に言われ有限会社の売却に応じた。横から里美が口を出した。
「清ちゃん1億円もあれば一生遊んで暮らせるでしょう。裁判にでもなれば大変な思いをするだけじゃあない!…その辺で手を打ったら」
と言われ清吉もその気になった。
こうして「株式会社ことぶき」を何とか1979年4月には設立させた。道子に箱根で叱咤激励された5ヶ月後には紀子が代表取締役、仲道が専務理事に新橋店の店長、川崎が常務理事に選任された。4月1日の株式会社設立の祝賀パーティーで紀子は、こんな挨拶をした。
「これまでの会社は主人一人の個人経営でした。その主人も社長としての仕事を何年も放棄しています。このままでは会社が潰れて行く運命にある事は明らかです。そこで株式会社を設立し私が社長になって、個人会社ではなく皆んなの会社として企業業績を伸ばして行こうではありませか。戦後34年、日本は飛躍的な経済成長を遂げています。それに伴って食文化も大きく向上して行くでしょう。今は三つしかない店ですが、この食文化の波に乗れば10店舗ぐらいには拡張して行けると思うのです。そうなれば10人の店長が必要となります。当然の如く給与も倍増して行くでしょう。つまりは皆さん方の会社作りが、これからの大きな目標です!」
割れんばかりの拍手で新社長の挨拶が済んだ。
仲道も川崎も久方ぶりの感動を味わった。仲道も50才になったばかりだ。36才の紀子を新社長に立てて皆んなの会社作りをして行きたいと云う意見には大賛成だ。
こうして紀子の猛突進が開始された。2年後には店舗数も3つから5つに増やし、職員数も100人を超え出した。その中には企業開発部門7人も作り、新しい土地の購入計画やマーケティングリサーチを専門にやらせる部所まで組み入れた。
次回に続く
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