中沢家の人々(44)

あの世で始祖に祭り上げられた貞雄は、己自身の巨大な墓石を目にして
「何とも居心地の悪い所に葬られたものだ」
と、恐らくは苦笑している事だろう。
しかし紀子の嫁としての意地と巨大企業への果てしなき野望が、その胸の内に隠されている事実には誰も気づかない。もちろん清吉へのある種の復讐心が、この様な形で現れたと考えられる。だからと言って紀子の清吉への思いが覚めた訳ではなく、その嫉妬心を闘争心に変えただけかもしれない。常に頭の何処かでは清吉を意識し、嫁に過ぎない紀子が中沢家の当主であるかの様に振る舞ったのである。
それは、かつての尼将軍(北条政子)に似た行動とも取れた。
源氏の家督を守る為に女である身も捨て政権トップの地位に就いた如く、紀子もまた唯の嫁に過ぎないのに中沢家の家督を守るべく懸命な努力を重ねていたのであろう。そんな紀子の思いが分かるはずもなく清吉の日々は少しずつ萎んで行った。
浮気もゴルフ三昧も所詮は、自己の本分としての仕事を熟して、その合間に楽しむ事に無上の喜びを感じるものである。その本来の人生の過ごし方を清吉は何故か見落としていた。
貞雄の一周忌も無事に済ませ、上野5号店が開店直前の紫陽花の季節にその凶報は持たされた。箱根の旅館の女将からの電話である。6月9日午前4時に自宅の電話がけたましくなった。上野5号店の新装開店の準備で忙しく今晩も寝付いたのは午前1時だった。
「一体こんな時間に何の電話だろう!」
と思いながら紀子は受話器を取った。電話の向こうの声は妙に緊張している。
「こんな時間に電話をしてすいません。中沢さんのお宅ですよね?」
「はい、それが何か!」
「失礼ですが貴女は道子さんの娘さん?」
「はい、そうですが…」
「実は道子さんが昨晩から意識不明の重体なの。あなた直ぐに来てくださらない」
「ところで母は今何処に?」
「小田原の総合病院に先程緊急入院させたの、原因は未だ分からないみたい…ともかくなるべく早くいらっしゃってね」
「はい、分かりました」
と答えたが、紀子の心臓の鼓動はそれから激しくなりだした。ともかく行かねばならない。総合病院の電話番号だけを聞いて受話器を置いた。立ち眩みに襲われそうで、とても一人で小田原まで行けそうにない。先ずは仲道に電話をかけた。
「あの、仲道さん。こんな時間に電話などをしてすいません。実はね、いま箱根から電話があって母が意識不明の重体だって聞かされたの。我が儘言って申し訳ないんですが、私と一緒に行って下さる…お願い!」
話の後の方は涙声になり振るえていた。仲道は電話の向こうの紀子のすすり泣く声を聞きながら、
「言うまでもありません、そう云う用事でしたら何時でもお供をさせて頂きます。これからタクシーを呼んで直ぐに社長の自宅に向かいます。一泊ぐらいの準備は必要ですかね?」
「有難う、そうね一泊ぐらいの準備は必要かも…じゃあ待っていますから」
と言って、軽い旅支度をした。
現金もそれなりに持った。
次回に続く
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