中沢家の人々(47)

なお医師の説明は続いた。
「今回の重篤な病状の原因は、クモ膜下出血による脳室内への広範な大出血です。このCTを見て下さい。これが村田さんのCTです。一様ご参考までに正常のCTと比較してみて下さい。頭部正中線上に脳細胞が綺麗に密集していますでしょう。正中線上に見える左右対象の黒い陰影は上部が側脳室で、その下に見えるのが第三脳室です。多発性脳梗塞などでは、この側脳室と第三脳室が左右不対象に大きく拡張しています。これがサンプルBのCTです。正常のCTに比べ脳室全体が大きく黒い陰影が拡がっているでしょう。これが多発性脳梗塞のCTの所見です。そして村田さんのCTを見て下さい。正常のCTと比較して真っ白ですよね、これは脳室内に出血と云う大洪水が起きているとの証拠です」
医師の説明を聞きながら、紀子も仲道も溜め息をつきながら、
「それで回復する見込みはあるのでしょうか?」
と、紀子が絶望的な思いで医師に尋ねた。
「残念ながら、これだけ出血巣が広範囲ですと手術自体が極めて困難です。村田さんは昨晩の11時半頃に頭が割れる様に痛いとの訴えをしていたと、先ほど旅館の女将さんから聞かされましたが、それがクモ膜下出血の重要な徴候なのです。そこから1時間以内に緊急入院となっていたなら、つまり12時半から午前1時ぐらいまでに入院していれば救命率は80%以上はあったと思うのですが、入院して来たのは午前4時前ですから3時間近くは遅れてしまったのです。誠に申し訳ないのですが、この3時間が生死の境目と言われる時間帯なのです」
「それでは母はもう手遅れなのですか?」
紀子は医師にすがる様な思いで聞いた。
「残念ながら極めて困難です、救命は!」
と医師は冷静に答える。
「何か他に方法はないのですか、お金なら幾らかかっても構いませんから、打つ手は何かないのでしょうか?…例えばヘリコプターを使って都心の大学病院に移すとか…」
医師は一瞬不快そうな顔をしたが、それを押し隠し
「お気持ちはよく分かります。実を申し上げると、私はここの常勤の医師ではないのです。都内の国立大学病院で脳外科の助教授をしています。友人の頼みで脳腫瘍の難しい手術を頼まれ一昨日からこちらの病院にお手伝いに来ていたのです。失礼ですが、その私の見立てでこれは極めて困難な病状であるとご説明しているのです」
紀子の偏見が、こんな小田原の辺鄙な病院で診てもらうよりは都心の大学病院で診てもらった方が何とか治るのではないかと云う思いは、今の小村医師の発言でピシャリと抑え込まれてしまった。
よく分かりました。大変失礼な事を申し上げた様で、先生どうかお気を悪くなさならないで下さい」
と、紀子は謝罪した。医師の機嫌を損ねたかが気になったのである。しかし医師はそれ程は気にしていなかった。
「最善の医療を尽くして欲しいと云うご家族の気持ちは痛い程に分かります。しかし、出来る事と出来ない事があると云う状況もご理解下さい」
と、医師は冷静に余裕を持って答えた。
次回に続く
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