中沢家の人々(57)

1982年春以来、清吉と里美の間で目に見えない溝が入り始めていた。1978年の暮れに紀子から手渡された小切手一億円が驚く様な早さで減っているのだ。里美にとって一生遊んで暮らせると思った一億円が、わずか3年半で半分以下になっていた。
一生どころか、5年も持ちそうにない。これには里美も慌てた。一人息子の翔太は未だ3才である。
この4月からは私立幼稚園の年少組にも通い始めている。戸籍上だけは「中沢翔太」になってはいるものの、これでは私生児扱いだ。貞雄の葬儀で見せつけられた紀子の、あの貫禄、とても自分が太刀打ち出来る相手ではないと、気持ちも萎んで来る。里美は清吉に内緒で「ことぶき」の店に客として幾度か入ってみた。何処の店も大繁盛だ。
そこの社長を追い出され清吉は未だゴルフ三昧の日々を繰り返している。
「一体、この人は何を考えているのだろう。自分達の将来を、いや子供の将来をどう考えているのだろう?」
里美の不安は日々募る一方だ。
清吉は43才、里美は27才だと云うのに、わずかばかりの貯金でこんな生活が何時まで続けられると云うのだろうか?
「この人に身を任せ、安易に子供を産んだのは大きな誤算なのではないか…」
そんな不安が手伝って1ヶ月半前の3月に、黙って清吉の子供を堕してしまった。
とてもじゃないが清吉の子供をこれ以上は産む気になれない。当然の如く、それ以来は清吉と夜の営みは絶っている。
清吉は清吉で昼間はゴルフコースを回り、夜はゴルフ雑誌やゴルフ番組ばかりを見ている。
「この人の頭の中にはゴルフの事しかないのか?」
里美の思いは後悔で一杯になり、男を見誤ったとの自責の念が段々と強くなる。
5月中旬の良く晴れた日、清吉は上機嫌で帰って来た。小脇に優勝トロフィーを抱えている。
「いゃあ、今日は苦戦だった。アンダー2の70で同スコアだったが、誕生日が5ヶ月だけ俺の方が上で何とか優勝に漕ぎつけたと云う危ない接戦だ」
そう嬉しそうに言いながら、陳列棚に優勝トロフィーを並べた。そこには26個もの優勝トロフィーが飾られている。里美は思わずキツイ調子で尋ねた。
「あなたが大切にしているトロフィーって、少しはお金になるのですか?」と、
清吉は一気に機嫌が変わり…
「何を言っている、これは名誉の証しだ。お金がどうのこうのと云った物じゃあない」
里美はキッ…となって反発した。
「それで、そんなお金にもならないトロフィーを幾つ並べれば気がすむの?」
清吉は不快な顔を露わにして
「何かあったのか?…いやに機嫌が悪いな。トロフィーに八つ当たりなんかして」
「別に八つ当たりなんかしていませんよ。ただ預金通帳に一体どのくらいお金が残っているのか知っていますか?」
「通帳の残高か、そんなものは通帳を見れば分かるだろう…」
里美は泣きたくなる感情を何とか抑えた。
この人は何も考えていないのだと思い知らされ、胸が一杯になってしまった。
次回に続く
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