中沢家の人々(63)

川崎は清吉の心の中を知ってか知らずにか話を続けた。
「お母様の道子さんが亡くなられたのは、今から一年前の6月です。病名は確か、クモ膜下出血とか言っておりました。突然に意識が無くなり、わずか一週間ぐらいで治療の甲斐もなく、お命を落とされました。紀子社長の嘆き様は傍目(はため)に見ていても、それはお労(いたわ)しく、葬儀は新大久保の自宅で慎ましくわずか4人だけで執り行ないました。その手はずも仲道さんが全てを行い、社長はただ泣き暮れるばかりでした。清吉さんにお声をかける余裕もなかったのでしょう」
意識的にか川崎は清吉を社長とは呼ばず、紀子社長を普通に社長と呼び直した。清吉も川崎のそんな言葉の変化に気付いていたが、敢えて何も言わなかった。いや、言える立場でもなかった。
「そうか、親父の時はあれ程まで盛大に葬儀を執り行なったのに、実の母親にはそんな質素な葬儀だったのか!」
「それこそが社長の女性としての奥ゆかしさでしょう。あんな素晴らしい女性を見捨て、若い女に血道を上げ子供まで産ませると云うのは罰当たりな話だとは思いませんか?」
川崎の言葉は少しずつ辛辣になって来た。しかし返す言葉もなく、清吉は一人黙って手酌で酒を飲んでいた。川崎もこれ以上は清吉の相手をするのに嫌気がさしたのか、
「それでは、未だ仕事がありますので私はこれで失礼します。どうぞ、ゆっくりなさって下さい」と、
言い残して個室の外に出てしまった。一人で個室に残されてそのまま飲み続けるのも妙に惨めな気がして、程なくして店を出る事にした。
「勘定を頼むよ」と、
傍らの店員に声をかけるが、
「お勘定は済んでいます」
との返事だ。何の支払いもした覚えがないので清吉は不審に思って
「未だ勘定を済ませてはいないが!」と、尋ねる。
「いえ、店長が既に処理済みです」との返事だ。
ここの店の勘定ぐらいは自分で済ませると、喉まで出かかったが余りあれこれ言うのも大人気ないと思い、今日の所はそのままご馳走になる事にして店を出た。何とも気まずい夕食だった。自宅マンションに帰ったのは午後10時だった。
里美は丁度、翔太を寝かしつけた所であった。
「あら、遅かったわね!…夕食は?」
「食べて来た」
と、清吉は素っ気なく答えた。
「誰かお友達と一緒に!」
「いや、一人でだ」
里美も清吉の不機嫌な様子に気付き、当たり障りのない口調で
「何か嫌な事でもあったの?」
と、尋ねた。
「別に…ただ、ことぶきの新橋店に何年かぶりに顔を出してみたのよ。そこの店長の川崎って云うのが昔、俺が随分と面倒をみたんで俺が店に戻る橋渡しをしてくれると思って話に行ったんだ」
と、清吉は弱々し気に答えた。
次回に続く
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