中沢家の人々(66)

「仲道さん、気を悪くしたの。
私が主人に甘すぎると思っていらっしゃるのでしょう」
「気を悪くしただなんてとんでもございません。ただ社長のお心が余りにお広いので仲道は言葉を失っていたのです」
「私はね、始めの内こそ主人への嫉妬心からお店を拡げる事に夢中だったわ…でも母の死を境に少し考えが変わったの。人の幸福って何か?…って思う様になり始めたら、主人のやっていることも定められた運命の内だと考える様になって来たわ!
それは主人の所業を許すとか許さないとかでは無く、それらの全てを大きく包み込む事により自分自身が救われるのではないか、そんな思いがするのよ」
仲道は紀子の話しを聞きながら感動で心が振るえていた。正に悟りの境地に近いのではと思ったりもした。母親の死を乗り越えて人は、こんなにも成長するのか?…紀子の姿がまぶしく輝いて見えた。
さらに紀子は話しを続けた。
「だからと言って、今すぐに主人を迎え入れると云う訳ではないの…物事には頃合いと云うものがあるでしょう。未だその時期ではないかもしれない…仲道さんは違うけれど、男の人って何時までも子供みたいな所があるから、この際あの人にも少しは大人になって貰わなければ何の為に1億円もの月謝を払ったのか分からなくなるでしょう」
今の紀子の言葉で仲道はかなりのショックを感じた。
「そこまで考えての小切手だったのですか?…自分などにはとても思いつかない社長の桁違いの度量には、ただ頭が下がるだけです。そんな社長の下で仕事をさせて頂いている私どもは誠に幸せです」
「仲道さん、そこまで買い被らないでちょうだい。ただの女の嫉妬の裏返しに過ぎないのよ」
と、紀子は照れ笑いをした。
「いいえ、ただの嫉妬でそこまで冷静な判断は下せませんでしょう。社長それは、謙遜のし過ぎですよ」
「まぁ仲道さんがそう思うなら、そう云う事にしときましょう。うちの人の事は、このまましばらく放って置いたら…」
「分かりました、しばらく社長の言う通りに黙って見ています」
と、仲道は答えるしかなかった。それにしても社長も大きくなったと、一人自問自答した。
1982年の夏が来た。
清吉と里美の間は少しずつ冷えていたが、お互いに先の事は考えない様に努めていた。考え出すと、それだけ二人の溝がより深まる感じだった。
幼稚園も夏休みに入り、翔太も何処かに連れて行かなければ親子共々に間が持たないと云う事になり、南伊豆の下賀茂温泉に出かける。3泊4日の旅行で、旅館から海水浴場まで送迎バスを出してくれる。里美は日焼け止めクリームをしっかりと塗って完全武装だ。翔太は始めて経験する海に怖がってなかなか水際に行こうとしない。
それを清吉が抱き上げて海水に少しだけ触れさせる。ギラギラ照りつける真夏の海で波際の潮の流れは何とも心地よい。翔太も徐々に、その心地よさが分かって来た。そうなると幼児の大胆さで勝手に海の中に入って行こうとする。
次回に続く
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