中沢家の人々(73)

「おや、あの喫茶店のウエイトレスさんじゃあないか!今日はお店の方は休みかい?」
「あら、いつものお客さん。まさか、こんな所で会うなんて妙な偶然ですね。毎火曜日は私の公休日なんです。これからお仕事ですか?」
彼は口数少なく「まぁね!」と、無愛想に答えた。
時計は午後1時を回っていた。
しかし男は何かを思い出したのか急に表情を変え、愛想良く笑顔になった。里美は男の変化に驚いた。
「ところで貴女、お昼はもう食べました?」
と、何故か聞いて来た。
「まだですが、それが何か!」
「すぐ、そこに美味しい寿司屋の店があるのだが一緒にどう?」
その唐突な誘いに里美は一瞬、身を引いた。この男に多少の興味は持っていたが、こんな所で寿司屋に誘われる謂れはない。
そんな里美の気配を感じ取ったのか、男は胸の内から一枚の名刺を差し出した。
「岡村興産 営業課 吉村潤一」と書かれてあった。
「実はモデルとか女優の卵を発掘する会社の営業マンと云うのが私の正体なんです。1~2カ月前から貴女に目を付けていて、あの喫茶店に通っていたのですよ。しかし声をかけるタイミングが掴めなくて」
と言われ、里美は一瞬目を輝かせた。彼女は少し弾んだ声になって、
「そう何ですか。私も実はお腹が空いていた所なんです。ご迷惑でなければ喜んで、ご一緒させて頂きます」
と、たった一枚の名刺で里美はあっさりと態度を変えてしまった。
朋子と知り会った直後に、モデルになれるマスクだと言われた事が頭にこびり付いていたのだろうか、里美の表情は瞬く間に変わった。
吉村と名のる男は内心では、その変化の早さにニヤリと笑っていた。モデルと云う言葉に弱い女心を知り尽くしいているかのような顔で、里美を近くの寿司屋に招き入れた。その寿司屋の2階には個室が3つぐらいあって、その1つから3人連れの客が丁度出て来る所だった。
タイミング良く、吉村と里美はその個室に入った。
「さて、何を食べるか?
今日は何でもご馳走するぞ」
と、吉村は上機嫌で里美に聞いた。それでも里美は遠慮勝ちに
「ちらし寿司で良いです」
と答えた。その可愛い気な言い方に吉村は好感を持った。
「何も遠慮しなくても良いんだよ、もっと高い握り寿司を注文すれば!」
と水を向けるが、里美は相変わらず
「ちらし寿司が食べたいんです」
と吉村の誘いには乗らず、あくまで自分の分を超える様な注文は差し控えた。彼もそれ以上の詮索はしなかった。
二人でやや濃いめのお茶をすすりながら吉村がポツリと聞いた。
「え~と、お名前は未だ聞いていませんよね?」
「失礼しました。山崎里美と申します」
と、少し恥ずかし気に答えた。
「里美ちゃんって言うんだ、年を聞いても良い?」
次回に続く
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