中沢家の人々(78)

そんな朋子との同居生活が急に慌しくなり始める前の11月中頃の事である。外では木枯らしが強く吹き始め、冬の訪れが間近かに迫っていた。
いつも高校で、里美に優しく教えてくれる数学の教師が彼女を映画に誘った。
教師の年は29才で里美とは10才違いである。やや長身で女生徒には人気もあった。
映画は、松本清張原作「砂の器」で、10月に封切られたばかりだが前評判も高く主演は加藤剛と島田陽子と当時の日本を代表する映画スターであった。
里美は映画そのものに興味があったので誘われるままに数学の教師と日曜の夕方、一緒に映画を見に行ってしまう。職場の喫茶店には病欠の言い訳で休ませてもらった。生まれて始めての仮病である。
映画は、ハンセン氏病の親子の哀しい運命(さだめ)と殺人事件の組み合わせにメインテーマ「ピアノ組曲、宿命」が折り重なって重厚な人間模様が演出され、感動的なシーンが随所に散りばめられていた。
里美は自分のこれまでに置かれた境遇と所々が重なる様な気がして、幾度となく頬を濡らした。
そんな里美に数学の教師、水沢はそっと手を握って来た。彼女は映画の世界に入り込み自分の手が握られている事も気付かなかった。しばらくして我に返ったが握られた手はそのままにして置いた。
男性の大きな温かい手が何故か愛しく感じられたのだ。そこには微塵の嫌悪感もなかった。幼い時の父親の手の感触に似ていたのかもしれない。
季節もまた人の温もりが恋しくなる時期であった。
5才で母と死別し、8才では唯一の肉親である父を失い、遠くに親戚と云う名ばかりの存在はあるものの、殆んど天涯孤独に近い自分の身が映画のヒロインと織り混ざったのであろうか?
ともかく、この時の里美は何かの大きな支えが欲しかった。
それでも映画の途中から、教師の手を何気なくハンカチを取り出す仕草で外した。教師の水沢に好意は抱いていたが、まだ異性としての意識は少なかった。教師もそれ以上には迫って来なかった。
映画が終わって二人は、当時流行り出した「すかいらーく」で夕食を取った。里美は盛んに映画の印象を語っていた。
水沢は里美の話を熱心に聞きながらハンセン氏病の説明を丁寧にした。それは日本では癩病(らいびょう)と呼ばれ、隔離政策が徹底していて多くの差別と悲劇の温床になっていたと教えてくれた。又それに伴って部落民(江戸時代初期に作られた非人とか云う身分制度)の問題なども詳しく教えてくれた。
封建時代の身分制度で百姓を始め、多くの庶民がどれ程に苦しめられたかを水沢は熱っぽく語った。そんな水沢の横顔を里美は頼もし気に見守っていた。
夕食後は品川の朋子のアパートまで水沢は送ってくれた。
「今夜は有難うございました。とても楽しかったです」
と里美は心から礼を言った。
次回に続く
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