中沢家の人々(81)

浅草雷門で寮付きの売り子店員募集の就職先を水沢が探してくれた。
早速、電話で問い合わせてみる。しかし午後5時までは仕事が終わらないと言われ途方に暮れてしまう。午後5時では定時制高校には間に合わない。
吉村の所にも電話を入れ、モデルの仕事についても相談してみた。彼は現在、売り出し中のモデルに付きっきりで里美の事で時間を割いている余裕はないと冷たくあしらわれてしまう。
喫茶店の仕事はそのまま続けながら何とか定時制高校に通っていたが、目ぼしい仕事はどうにも見つからない。時間だけは徒らに過ぎて行く。
あっと言う間に2月も過ぎ3月になってしまう。朋子も少し心配になって、
「里美ちゃん、新しい仕事は見つかったの?」
と気づかってくれたが、事は思い通りには進まない。里美は半べそ状態で
「それが見つからないんです」
と言うしかなかった。やゝ同情をこめて朋子が
「里美ちゃん、もし良ければ4月までならこのアパートを使ってても構わないのよ。そこまでなら家賃は支払い済みだから」
とも言ってくれたが、それはそれで助かるが…僅か1ヶ月間だけ問題が延びたに過ぎない。
そして1975年3月18日(火曜)に朋子の卒業式を迎えてしまう。3月20日(木曜)里美の終業式、ともかく1年間の通学生活は何とか終了した。翌3月21日が二人にとってはアパートでの最後の夜となった。ささやかなお別れパーティーが里美の手で企画された。この日は朝から朋子の引っ越し騒ぎでドタバタと荷造りに忙しかった。
段ボール箱が一杯積まれた部屋の片隅でコーラとケーキだけの二人きりのパーティーである。
里美は朋子との別れを惜しみながら涙ながらに語った
「朋子さん今日まで、本当にお世話になりました。これは私からの気持ちです」
と言って、3枚組みのハンカチセットを贈った。
「どうも有難う、まあ綺麗な刺繍だこと。大切に使うわね!」
と、朋子は嬉しそうに受け取った。
3月22日(土曜)の午前11時、朋子と里美は東京駅で別れた。
しばらくは呆然と新幹線のプラットホームに立っていたが、10分程してバイト先の喫茶店に出向く。あらかじめ遅刻の届けは出しておいた。学校も休みだったので、その日は夜の8時まで仕事をした。その後も春休み中はフルタイムの仕事を続けた。ともかく少しでも稼ぎたかった。
4月8日(火曜)から2年生の新学期が始まっていたが、里美はそのまま喫茶店でフルタイムの仕事を続けた。高校に通い続ける自信が失われていたのだ。何にしても自分の生活費は稼ぎ出さらなければならない。
4月11日(金曜)午前11時半頃に教師の水沢が突然喫茶店にやって来る。学校にはバイト先を前もって提出してあるので、水沢が来てもおかしくはないのだが里美は死ぬ程、驚いた。
次回に続く
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