中沢家の人々(89)

しばらくしてナースが出て来た。
「今日ですか?…ちょっと無理かもしれないけど一様、先生に聞いてみますね!」
と言って、一度引き下がった。
20分程待たされナースが戻って来た、「今朝のお食事は?」
と尋ねられたので、里美は
「はい、普通に食べて来ましたが」と、答えた。
「分かりました。それでしたら今日の午後2時からなら可能だと、先生は仰っています。それでも良いですか?」
ナースは事務的に聞いた。
「はい、それで結構ですので、宜しくお願いします」
「では昼食は取らず、1時間前の午後1時には来て下さい。1泊の入院となりますから、その準備でお出で下さい。入院費用と手術料を含めて20万円ぐらいにはなりますので、そのお積りでご用意して下さい。後の細かい事は受け付け事務の者にお尋ね頂けますか!…それではお待ちしています」
とナースは説明して、診察室の奥に消えて行った。その後は受け付け事務で入院申込書とか、アレルギーの有無、出産歴その他の書類を6枚程書かされ、入院時の注意事項などの説明を受け午前11時やっとアパートに戻った。水沢は既に出かけて居なかった。里美はボストンバックに下着やら洗面用具などを積め、その後は水沢に書き置きを残す。
「一泊の入院となったので今夜は帰らないから」と、
一休みする間も無く12時半にはアパートを出る。バスを使って病院までは15分ぐらいの距離である。午後1時少し前には病院に着いた。
午後1時には先刻のナースがやって来て、これからのスケジュールを色々と説明し始める。麻酔は腰痛麻酔で下半身だけにしか効かないとか、手術後は下着は身に着けず、T字帯と産褥用パットを使用するとか、入浴は何時から可能とかの細かい説明を受ける。午後2時から中絶の手術が始まった。
ナースの説明通り、下半身の感覚は殆んど無かったが頭の中での意識は鮮明だった。手術中、里美は病院の白い天井を見ながら考えていた。
「何故、女の私だけがこんな嫌な思いをしなければならないのだろう!」
…京都伏見で無理矢理に辱(はずか)しめられた事などが急に記憶の中から蘇り、女として生まれた理不尽さを痛いほど思い知され、ひとりでに涙が溢れた。
朋子と共に始まった東京での生活で、新しい人生が見出せるかと考えたのも束の間の夢だったのか?
そして水沢との同棲生活は自分に何を与えてくれたのか!
このまま高校に通い続ける事に意味があるのか?
そんな果てしなき問いかけが、里美の心の中では渦巻いていた。ともかく水沢と分かれ一人になって考え直そうと、この手術を境に彼女の気持ちは水沢から大きく離れて行った。何をさておいても先ずは自分自身の傷ついた心と身体を回復させ、全ての行動はその後だ!…里美は中絶と云う屈辱的な手術を受けながら、そんな決意を固めていた。
次回に続く
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