中沢家の人々(91)

それから二人はママの指示で店のボーイに彼女らが住む予定のマンションに車で案内してもらった。渋谷にある2DKのマンションは8畳と6畳の二間に8畳のキッチンがあり、バスルームも広々としていて里美がこれまでに住んで来た住居の中では最も快適そうだった。
このマンションが職員寮として無料で借用させて貰えるとボーイに聞かされ、二人は手を取り合って喜んだ。
その3日後に水沢の居ない留守を狙って、里美は黙って荷造りをして彼のアパートを出た。同時に高校へも退学届けを出し、さらに水沢へも書置きだけは残した。
「随分とお世話になりましたが、勝手ながら私は自分の信じる道を行きます。先生もお身体を大切に…」と、書いた。
後はクラブのボーイが小型トラックに彼女の細やかな荷物を全て積んでくれた。余程、里美の事が気に入ってくれたのかマンションの手配も引越しの事も全てをママが世話してくれた。
こうして1975年11月25日(火曜)の木枯らしが吹く季節に里美の新しい生活は始まった。
「出勤は明後日の27日の木曜日からとなりますが、午後5時までにはお店の方に必ず顔を出して下さい。私服で来て頂いて結構です。当分の間はお店に出る時の服装はママが用意してくれます」
里美の荷物を運び終えたボーイは彼女にそう伝えると、直ぐに帰っていった。
翌日の26日になって、やっと珠江が引越して来た。彼女は一人で運送屋に頼んで自分の荷物を運び入れて来た。彼女にはクラブのママが何の手配もしてくれなかったらしい。
しかし、 その事に関して里美は何も言わなかった。11月27日の午後5時前には、珠江と二人で銀座の「葵」に出向いた。すでに店にはママが出勤し、里美と珠江の洋服の準備をして待っていた。その華美な服装に彼女らは目を見張った。
「こんな素敵な服を身に付けるのですか?…少し派手では!」
と二人は、声を揃えて言った。
「何を言ってるんですか?内ぐらいの店ですと、この程度の身だしなみは必要なんですよ」
彼女らの質素な服装を目にしながらママは更に付け加えた。
「これから数ヶ月間は私の方で洋服の準備はしますから、一生懸命に頑張って下さいね!」
と、ママは二人を励ました。
二人は慣れない仕事で一ヶ月程は、唯まごまごするばかりであった。もちろん指名など貰えるはずもなく、指名上位のホステス達のヘルプ役に専念するだけだった。
仕事も客のグラスにウイスキーを注いだり、カクテルの注文をしたりするだけではなかった。
客を飽きさせない知的レベルの高い話術が必要とされた。
政治や経済、スポーツそして文学など様々な話題に通じている事がトップホステスの条件であった。高級クラブが一流である程、ホステスの教養も高かった。それでは全てにおいて高い教養を身に付けていなければホステスの役は務まらないかと言えば、必ずしもそれだけではない。聞き上手と云う事も重要であったし、それ以上に若い女の初心(うぶ)さで不足した知識を補う方法だってある。さらには知らない振りをして、
「やっぱり先生って、凄いのね!…里美、馬鹿だから何も分からない。もっと優しく教えて」
と言って、客を煽て上げるのも賢いテクニックの一つではある。
次回に続く
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