中沢家の人々(92)

「葵」に勤め始めてから3ヶ月程で里美には指名が少しずつ入り始めた。客を見つける瞳が何時も憂いに満ち、それでいて笑顔は決して絶やさない里美のそんな接客態度が、男心を揺さぶるかの様に半年もしない間に30人はいるホステスの中で彼女の売り上げが、べスト10入りを果した。驚く程の伸びで他のホステス達の里美を見る目も変わって来た。強敵なライバルが現れたと云う視線だ。
一方の珠江は半年たっても一人の指名が得られなかった。歩合制の給料では収入面においても里美との差はつくばかりだ。
結局は一年もしない間に珠江は自分から「葵」を辞め、マンションからも引き上げた。2DKの渋谷のマンションは里美一人の占有となったが寂しさを感じる暇もないくらいに彼女は忙しかった。美容院も3日に1度は行っていたし、洋服などの買い物も多かった。
その半年後ぐらいから38才の清吉が「葵」の常連客となり出した。最初はゴルフ仲間に何か無理矢理に引きつれられて来た感じで、殆んど遊び馴れている風でもなかった。その日は指名客もなく里美は、たまたま暇だったので清吉の席に着いた。年の割には妙にはにかんでいて無口だった。ウイスキーの飲み方にも品があった。ラフに着こなしているジャケットも驚くほど高級ブランドで左手にはAP(オーデマ・ピゲ)の腕時計が光っていた。それでいて全く金持ちらしい嫌味がなかった。清吉の隣に座っているだけで温かな安らぎさえ与えられた。初対面で里美は清吉に好感を持った。
その一週間間後に今度は清吉が一人で恥ずかしげにやって来た。雨の強く降る日で客は殆んどいなかった。
ボーイに、
「ご指名は?」と聞かれ
「里美さんはいるの」と、
照れくさそうに答えた。入り口近くで早くも清吉を目にしていた里美は急ぎ清吉のそばに近づいていった。清吉は里美を眩しげに見て、
「また、来ちゃったよ。迷惑だったかな?
」と、ぼっそり呟いた。
「迷惑だなんて、とんでもない。とても嬉しいわ!」
そんな清吉の言い草に里美は益々好意を強く感じた。それ以降、二人の関係は急速に深まった。
里美も22才になり「葵」の水にもすっかり溶け込んでいた。清吉はこれまで付き合っていた水沢とは余りに対照的だった。その経済力といい、着る物のセンスといい、これが同じ男性かと思えない程に違っていた。
水沢よりは6才も年上だったが男としての魅力には格段の差があった。わずか40万円の金でお腹の子供を平気で堕ろさせる様な人間とは比較にもならないだろう。
週に1~2回は必ず「葵」に来て里美を指名してくれ、時にはゴルフ仲間も数人は連れて来るが、その金離れの良い事はこの上ない。それだけ里美の売り上げが順調に伸びる事にも繋がる。事実、清吉が「葵」に通い出し里美を必ず指名する様になってからと云うもの、里美の売り上げは他のホステスを格段に抜いて常にナンバーワンの地位を維持し続ける様になっていた。ママやボーイ達の里美に対する見方も大きく変わってトップホステスとしての我が儘が許された。もちろん清吉以外にも里美ファンは何人もいたが、彼ほど紳士的で里美にプレゼントの多い客は他に例を見なかった。そのプレゼントの一つ一つが腕時計、ネックレス、バッグ、指輪などの高価な品が多く、どれもこれもが100万円前後はするものばかりで、他のホステスが妬んだのは無理のない所であった。だから必然、清吉が「葵」で遊ぶ時は里美が清吉の専属となってしまった。
こうして一年以上、清吉が「葵」に通う間に里美は彼の愛人となってしまい、子供まで出来てしまう。親類縁者の乏しい里美にとって血を分けた子供は誰よりも欲しかった。しかし、その為には二つの絶対条件が必要である。幼少時から貧しい生活を余儀なくされていた里美には金銭への憧れが人一倍強かった。さらに自分だけを見つめてくれる大きな愛にも渇望していた。その両方を清吉は持っていて、それらを限りなく里美に捧げた。
正妻の紀子がいるにも関わらず、清吉は里美と翔太の愛の暮らしにのめり込んでいた。家政婦もベビーシッターも雇い入れ里美は何不自由のない生活を楽しんでいた。
次回に続く


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