中沢家の人々(103)

こうして新しい家族の形態が始まった。
幼稚園も変わり、新しいベビーシッターも雇い入れ清吉は育児からも解放された。
紀子はしばらく社長業を休み、翔太の世話に明け暮れていた。デパートで翔太の服やら靴を買い求めたり、彼の為の家具を探したりと忙しそうである。それでいて、そんな忙しさを楽しんでいる様子だった。
仲道が業務上の決裁を電話で幾度か仰いでも、紀子は何処か上の空で聞き流す事が多かった。
母の道子が生死の境を彷徨(さまよ)っている時には紀子も、一時的に社長業を忘れたかの様な時期もあったが、今回はその時とは明らかに違っている。電話での声が生き生きとしているのだ。
深い湖(うみ)の底に置き忘れていた紀子の母性が蘇ったのであろうか?やはり彼女も本当の意味では愛に飢えていたのかもしれない。
たとえ愛人の子とは言え、清吉の子ではある。夫への思いが断ち切れず、心の奥底では脈々と清吉への思慕の念が息づいていたのであろう。
夫の裏切りを決して許さずに、そのまま見捨ててしまうのが世の常である。しかし紀子は違っていた。その裏切りをも含め夫を真底から愛していたのかもしれない。それ故にこそ清吉が目覚める日を待ち続ける事が出来たのであろう!
それとも紀子のもつ天性の優しさによるものであるのだろうか?
その何(いず)れにせよ、人を許す行為は自らも救われると云う
「魂の論理」を、紀子は誰から教わったのであろうか?
それは恐らく母、道子の苦難に満ちた人生の中から学び取ったものであるに違いない。若くして夫に死別し、幼き紀子を育てる為の女中奉公、そして妾の立場に身を落としながらも己れのプライドを維持し、その別れ際の見事さと自立心、実の娘にさえ経済的な甘えなど一切見せた事のない生き様、59年と云う生涯であったが、その母から学ぶべき事は余りに多かったのである。
清吉と翔太の二人が新大久保で紀子と共に住む様になって、10日目に仲道が重要書類の印鑑を求め、新大久保の自宅にやって来た。紀子からは何の説明を受けていなかった仲道は、リビングで新聞を読んでいる清吉を見て驚いてしまう。
仲道はどの様に声をかけたら良いか分からず戸惑っていた。
紀子がそんな仲道を見て、
「仲道さん、ご免なさい。副社長のあなたに何の相談もせずに…」と、
言い訳をした。仲道は直ぐ首を振って、
「申し訳ありません、妙に狼狽(うろた)えたりなどして。社長のご主人が御自宅で新聞を読んでいるのは当たり前の出来事で、驚く私がどうかしているのです。何はともかく、ご夫婦が円満であるのは結構な事で、仲道も心からお喜び申し上げます」
紀子は少し頬を赤らめて、
「そんな風に言われると、変に改まって話しづらいわ、仲道さん!…これには色々と訳があるのよ」
次回に続く

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