中沢家の人々(105)

仲道は新大久保の社長邸を出て一人考えた。昨年の7月に新大久保の家で紀子に言われた言葉を思い出し、あの時の話はこう云う意味を持っていたのかと、紀子の深い洞察力に兜を脱ぐ思いでいた。そして、あの時の言葉をしみじみと思い起こした。
「私はね、初めの内こそ主人への嫉妬心からお店を拡げる事に夢中だったわ…でも母の死を境に少し考えが変わったの。人の幸福って何か?…って思う様になり出したら、主人のやっていることも定められた運命の内だと考える様になって来たわ!
それは主人の所業を許すとか許さなとかでは無く、それらの全てを大きく包み込む事により自分自身が救われるのではないのか、そんな思いがしたのよ。
だからと言って、今すぐに主人を迎え入れると云う訳ではないの…物事には頃合いと云うものがあるでしょう。未だその時期ではないかもしれない…仲道さんは違うけれど、男の人って何時までも子供みたいな所があるから、この際あの人にも少しは大人になって貰わなければ何の為に1億円もの月謝を払ったのか分からなくなるでしょう。
だからうちの人の事は、このまましばらく放って置いたら…」
正に、今日の事態を予測して紀子はあの様な発言をしたのだ。
そして彼女の予測通り、清吉は真から自己の所業を悔いそして目覚めたのであろう。それらの悔いを認め紀子は全てを許したに違いない。そう思い返すと、改めて紀子の大きさに驚嘆せずにはいられない。更に愛人の子供を嬉々として世話している姿は観音菩薩そのものではないか。多くの世の女性なら嫉妬の余り、罪なき幼な子に八つ当たりする例も多々あるものと聞くのに、そんな気ぶりは露ほども見せずに我が子同様に接している。そんな紀子の姿には、ただ頭が下がるばかりであった。
2月も下旬となり都心では、梅の花が咲き春の兆しが間近に迫っている。清吉と翔太が新大久保の自宅に移り住んで1ヶ月が過ぎ様としていた。
1983年2月28日(月曜)に紀子は臨時の重役会議を招集した。
副社長の仲道を始め、川崎、池沼その他10名以上の幹部職員が集まった。その席上で紀子はこう宣言した。
「この4月1日から会社の人事を大きく変革します。私は社長の席を辞し、会長職を務めます。社長職には中沢清吉さんを私が推薦します。しかし当分の間、社長職は職務上の権限だけに留め、代表取締役の裁可は会長職である私の責任に於いてします。1億円未満の事業決裁は社長一存で認めますが、それ以上の決裁は会長権限で私が行います。代表株主の資格を持って、私がこの指示を発令します。以上、何かご質問があれば受け賜わります」
四谷本社の会議室では、突然の社長宣言に驚く者も多かった。招集された幹部職員の多くは清吉その者を知らなかったのである。当然の如くのこの人事変革に疑問を抱く者もあった。
「この突然の社長交代は如何なる事情によるものでしょうか?
また中沢清吉さんとは如何なる人物ですか?…現社長と同姓ですが、何か個人的関係があるのでしょうか!」
と、清吉に初めて接する幹部職員からは素朴な質問が出た。
次回に続く
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