中沢家の人々(113)

そんな里美の努力が実を結んで、文芸評論家とかメディアの上層部の人間たちの間にも彼女のファンが拡がって行った。
六本木の店で働き出した頃に、景気良くドンペリを振舞ってくれた沼沢も週に一度ぐらいは、それからも里美を指名してくれたが、金払いが良いだけで知的センスに欠ける彼には何処か馴染めなかった。目の輝きが、ギラギラしていて何とか金の力だけで里美を自分の女にしたいと云う魂胆が丸見えだった。
それに比べれば、かつての清吉の方がどれ程に品が良かったかを思い出してしまう。
しかし客は客だ、里美の好き嫌いだけで選り好みする訳には行かない。ぎりぎりの線で笑みを振り向けてはいる。指名客が同時に数名あると、どうしても沼沢の席に座っている時間が短かくなる。里美自身が無意識の内に好みの客のそばにいてしまう時間が長くなってしまう事もある。
そんな里美の態度に当然の如く、沼沢は不快な顔を露骨に出す。時には、
「俺はもう帰る!」と、
駄々をこねる事もあったりした。ヘルプの女性が付いてはいるのだが沼沢は里美でないと納得しない。そんな時は里美が急ぎ沼沢の席に戻り、彼の機嫌を取り直す。
「そんなに怒っちゃ嫌だわ、あっちのお客さんが少しばかりしつこかったの、ご免なさい。私も早く沼ちゃんの所に来たかったのよ!」
里美は甘い声で彼を宥めた。
「本当か、近頃は妙によそよそしい感じもするがな…」
と、沼沢は幾らか尖った言い方をして来た。
「馬鹿ね、そんな事がある訳ないでしょう。昔からの大切なお客さまなんだから。ねえ、お願いだから機嫌を直して!…私もう泣いちゃうから!」
少し媚びる様な声で沼沢の手を軽く握った。それで沼沢の機嫌は完全に直った。
トップホステスになる為には、どんな客も自分の手の中から溢れ落としてはならない。教養丸出しでは嫌がられる事だってある。どれだけ多くの引き出しを持っているかが重要なのだ。甘えたり、拗ねたり、時事問題に相槌を打ったりと多彩な技(わざ)が要求される。
特に沼沢の金離れの良さは、里美の客の中では群を抜いている。付き合い始めた頃の清吉も金離れは良かったが、沼沢はそれさえも遥かに超えている。
「葵」での売り上げも、この一年以上は常にナンバー1を保っている。確か池袋でパチンコ屋をやっていると聞いていたが、以前に比べてお金の使い方が半端でない。パチンコ屋も3店舗ほどは手がけているとの話だが、それにして景気が良すぎる。パチンコ屋だけで、こんな湯水の様にお金の使い方が出来るのであろうか?
「葵」に勤め始めて清吉と良い仲になり出した頃の沼沢と云えば、それ程には目立つ存在ではなかった。お金の使い方も当時の清吉に比べ、ずっと質素だった。
それが、この一年ぐらい前から急に羽振りが日増しに良くなって来たと、周りのホステスからも聞かされた。或るホステスは多少の妬みも含んで、
「里美さんを口説き落としたくて精一杯に無理をしているんじゃあない」
などと言ったりもするが、そんな一時の見栄だけで一年以上も毎週の様に散財の限りを尽くせるとは思えない。
店に来るのは週に一回程度と安定しているが、注文をするウィスキーやワインが明らかに違う。他のお客では殆んど飲みつけない様な物をオーダーして来るのだ。
次回に続く

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