中沢家の人々(116)

里美はにこやかな笑みを返しながら
「任せて、沼ちゃんのお友達だもの精一杯のサービスをさせて頂くわ」
今にも灯りを消そうかと意気消沈していた店の中は一気に活気を取り戻した。
その日に限って言えば、沼沢の来店は「福の神」そのものの出現と同じだ。
上品ばかりを言っている様な状況ではない。それよりは少しでも景気良く店の中を明るくしてくれた方が、どれだけ助かる事か!
50才間近の中年男たちが高校時代に戻った気分で軍歌を歌ったり、古い流行歌を声高らかに歌ったりするもんだから、その賑やか事と言ったらない。また勝手気儘な注文も飛び交い店の中は蜂が突く様な騒ぎになっていた。ウィスキーやらワインはともかく日本酒まで注文する人間がいたりで、わずか6人の客にボーイ達は大忙しだった。客の一人が、
「沼沢、寿司を注文しても良いかな?…何か腹が空いたんだが!」
すると他の友人と思える客が、
「そんな寿司なんか注文出来るのか、ここはナイトクラブだろうに」
と言った、素朴な疑問を投げかけた。ボーイの一人がにこやかに、
「お客様のご要望であれば大丈夫です」と、答えた。
すると幾人かが、
「寿司か、それは良いな!」
と、拍手をしだした。里美が沼沢の目を見て
「どう、なさいます?」
と、少し当惑した様な面持ちで尋ねた。如何に友人かは知らないが何か図々しいのではないか、そんな里美の視線が逆に沼沢を刺激したのかの様に彼は…
「寿司か、それも良いな。まぁ、特上を10人分ぐらい頼んで貰おうか」
と、事も無げに答えた。その気前の良さに、さすがの里美も呆れる思いがした。それからも沼沢の友人達は酔った勢いもあってか、たかるに任せ好き放題に振舞っていた。
そんな沼沢の人の良さを目の当たりにして、里美はこれまで抱いていた好色漢だけのイメージから、素朴な虚栄心と底抜けに明るい好人物の印象を深めていた。妙に同情すべき人間像さえ思い浮かべていたかもしれない。
ある意味で里美の目線は嫌悪感から好奇心に変わって来たとも言える。
何にしても、この日の客の騒ぎ方は派手だった。3時間以上は騒いで最後は舟木一夫の「高校3年生」を大合唱して、やっとお開きとなった。
店の雰囲気は何時もに比べ、かなり庶民的な味わいとなってしまったが、ボーイやホステス達も今夜に限って言えば好意的でさえあった。
夜10時前までの葬式みたいな静けさからみれば、50才前の老けた高校生の集団の方がお店として良かったに違いない。何にしても、この1日で沼沢は200万円以上のお金を落としていったのだ。店の誰も少しぐらいの喧騒には文句が言える訳もない。
それから6日目の木曜日にまた沼沢がやって来た。アルコールは飲んでいなかった。少し恥ずかしそうな顔をして、
「この間は大騒ぎをして悪かったな!」と、
席に着くなり里美に詫びた。それだけでは気持ちが済まないのか、店のスタッフ全員に1万円札が入った祝儀袋を配り歩いていた。そんな沼沢の態度を見て里美の気持ちを大きく揺れ動いた。彼への好意が大きく膨らみ始めたのだ。
次回に続く
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