中沢家の人々(123)

その株価が600円を付けた金曜日の夕方に、沼沢は意気揚々とした足取りで「葵」の店のドアを開けた。里美は待ち焦がれたかの様に沼沢のそばに擦り寄って行った。おしぼりを沼沢の手に渡し、
「沼ちゃん、凄いわ…本当にあっと言う間に500円を超えたわね。やっぱり沼ちゃんは株取引のトップ・プロなんだ!」
沼沢は嬉しそうにワイングラスを自分の口元に運んで、
「今夜は愛想が良いんだな!」
と言って、里美にも同じワインを勧めた。彼女も美味しそうにワインを飲んだ。そして最も気になる質問をした。
「ところで、沼ちゃんは幾らまで値上がりすると思っているの?」
「そうだな、2千円までは行くだろう。もしかすると3千円もあり得るかもしれない」と、
やゝ考える様にして答えた。里美は溜め息をついて、
「そんなに上がるの、何だか恐いみたい!
何時になったら売れば良いのか私には分からないわ…」
と、里美は甘える様に言って来た。沼沢は得意気に、
「今回は里美にとっては初陣だから、売り所も俺が責任を持って指示するから心配しなくて大丈夫だ。それよりは緊急時に連絡が付けられる里美の電話番号を教えてくれないか?…株価に急激な変化の兆しが現れたら「葵」が開店する時間じゃあ間に合わないだろう。大体電話をするとなると午後1時から2時の間になるだろうから…その時間までに連絡を付けないと、その日の株取引の時間帯に次の指示が出せなくなってしまう恐れがある!」
里美も頷いて、
「ポケベルの番号で良いかしら?」
と、沼沢に確認を取った。
「うん、それで十分だ。俺が里美のボケベルを鳴らしたら俺の会社の社長室に直接電話を繋いでくれ」
「はい、それでは私のポケベルの番号をメモして渡します」
と、里美は喜々とし答えた。そして直ぐにそのメモを彼女の名刺の裏側に書いて沼沢に手渡した。
それから1ヶ月もしない間に株価は1500円にまで釣り上がった。里美は毎日ドキドキしながら日経新聞の株式情報に目をやっていた。頭の中では盛んに胸算用もしていた。もし、明日にでも1600円で売り切れたら手数料を引いても400万円近いお金が自分の手許に残る事になる…今のホステスで稼ぐ給料の何ヶ月分になるやら驚く横な高額な利益になってしまう。それから毎日里美は落ち着かなくなって来た。その5日後には2千円にまで高騰して来た。里美は沼沢に会う度に、
「沼ちゃん、もうこのぐらいで十分じゃあない。私は満足だわ!」
里美は哀願する様に売らせて欲しいと言い出した。
「まあ、もう二週間は待ってみろ、この銘柄はお化け相場になりそうだ」
と言って、里美の売り希望を延期させた。その3日後には2500円を付けた。里美が買い入れた10倍である。3千株の購入だから750万円だ。沼沢に元手の100万円を返し手数料を引いても600万円は残る計算だ。その次の日の午後2時半に里美は沼沢に断る事もなく証券会社に電話を入れ2750円で売却してしまう。売却直後の終値は2600円と少し値を崩した。里美はその日の最高値で売り抜けたのだ。すごく嬉しかった。
全てを差し引いても690万円が里美の利益となった。殆んどは沼沢の指導の元でやったに過ぎないのだが、最後の売却だけは自分の意志でやったと云う満足感が残った。
次回に続く
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