中沢家の人々(127)

里美にとっては沼沢に妻子がいようと、自分の経済活動が損なわれない限りは沼沢との関係は大切にしておきたかった。
年令こそ20才は離れていたが、沼沢から与えられる株取引の情報は余りに貴重なものが多く、彼なしに経済的な有利性を確保するのは困難であった。
事実、里美が31才の年には彼女が自分名義で自由に動かせる資金も1億5千万円を越えていた。ただ自己の資金量が豊かになっただけでは無く、株取引に伴う知識と実戦力も格段に向上して行った。
信用買いや空売りの手口も巧妙になって来たし、チャートの解析力はプロ並みであった。日経平均は右肩上がりで日本経済は確実に上昇していた。
平家物語ではないが、「驕れる者久しからず」の例えにもあるが如く、世界経済と日本経済に大きな躓きが突然に何の前触れもなく発生した。
1987年10月19日に起きた米国発のブラックマンデーである。暗黒の月曜日とも呼ばれニューヨークダウ30種平均の下落率は22.6%(508ドルの下げ)と、史上最悪の記録を示した。翌日のアジア各市場も連鎖的な下落で日経平均株価は3,836円安(14.90%の下落率)で売り一色となった。沼沢と里美の二人は10月17日(金曜日)までに相当の買いを入れていた。沼沢は現物で12億円、信用買いで15億円を仕込んでいた。里美も負け知らずの相場展開で現物1億2千万円、信用買い1億8千万円の仕込みをしていた。そして向かえた10月20日の月曜日、二人は箱根の旅館で共に過ごしていたが、朝食もそこそこに茫然自失の態をなしていた。里美が32才になった秋の事である。朝8時半に沼沢が先ず証券会社に電話を入れる。ニューヨークで大暴落を起こしているニュースはすでに耳にしていた。
「もし、もし、沼沢だ。課長の吉川君はいるか?すぐに代わってくれ…何!他の客が殺到していて電話には出れないだと、困ったな誰か信用取引を決済出来るスタッフはいないのか?…何だって全員が電話の前で釘付けになっているんだと!支店長は、支店長はどうしている?
えっ、支店長は電話2本を持って立往生しているって、もう一体どうなっているんだ。それじゃあ何の取引も出来ないのか…」
と言って、沼沢は電話を叩き切った。
「里美、今お前も聞いていただろう!証券会社は完全にパニック状態だ。これ以上はフロントの女子事務員と話をしていてもラチが明かない。昨日のニューヨークでも殆んど株取引は成立していないらしいから東京でも同じだろう。仕方がないテレビで株式情報でも見るか?」
午前9時になってテレビから株式情報が流れて来た。東京市場は全てが売り気配のみで値段が全く付いていない。買い手が誰もいないので売買が成立しないのだ。二人共に朝食は殆んど喉を通らなかった。里美が心配気に、
「この先、株式相場はどうなるのかしら…もしかしたら私たちは破産するの?」と、尋ねて来た。
「うん、どうなるか予測は付かないが毎日が売り気配値のみで売買が成立しないと云う事もないだろ。この1日2日は我慢を強いられるかもしれないが。それにしても狼狽売りと云うのが最悪のパターンだし…何とか起死回生を願いたいが今日は少なくても動きが取れそうにない」
「そうね、今日はどうにもならないわね。売買そのものが成立しないんだから…」
「いゃあ、成行きで出せば何割かは売却出来るかもしれないが万が一にも明日、反騰して来たら悔しいし…」
次回に続く

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