中沢家の人々(129)

その一方で「ファミレス」の勢いが増して、本格的な料理店の客足が減り始めた。1970年に東京・国立で「スカイラーク1号店」がオープンしたのを皮切りに1980年代になると24時間営業で店を営業するファミレスも増え多くの人達が手軽で安い「ファミレス」へと集まり出した。さらに1990年代に入るとバブルがはじけ日本経済が急落した為、低価格を売りにしたファミレスがより人気を集め、本格的な日本料理店は少しづつ閉鎖され出した。「ことぶき」グループもその例に漏れず経営が日々圧迫され始めていた。日本経済の不況に伴い企業の多くは接待交際費を極度に切り詰め、社用族が高級料理店で好き勝手に飲み食いする時代が影を潜めていった。
1991年2月、翔太は都内の有名私立中学に合格した。中高一貫教育で東京大学への合格者は日本で一番の学校である。清吉と紀子は共に高校卒なので一人息子の翔太には、それなりの学歴を身に付けさせたかった。そんな思いの第一歩が踏み出せて、親子3人は手を取り合って喜んだ。紀子は喜色満面で、
「翔太、よく頑張ったね。将来の希望はな~に」
と、彼を抱き寄せる様にして尋ねた。翔太は少し恥ずかしがって、紀子から一歩遠ざかり、
「まだ、そんな事は分からないよ。お母さんも気が早いんだから…そんな事よりも中学校に入ったら僕は剣道部に入りたいんだ」
と、翔太は答えた。横から清吉が、
「剣道部か、それも良いな!」
と鷹揚に笑った。幸せに満ちた足取りで親子3人は新大久保の自宅に帰った。
午後3時過ぎ清吉は仲道と川崎に電話を入れた。
「もし、もし、仲道さん。忙しい所を申し訳ないんだが、今夜は新大久保の自宅でささやかなお祝いをしたいのだが…」
「それでは、翔太坊っちゃんが合格したので?」
「うん、何とか第一志望の学校に入れたのよ」
「それは、それは、どうもお目出度うございます。分かりました、その様な事でしたら喜んでお邪魔させて頂きます。お祝いの膳は私の方でご用意させて頂きますから…ところで何時頃にお伺いすれば宜しいでしょうか?」
「うん、全くの親馬鹿ぶりで恥ずかしいのだが川崎君にも声をかけるつもりなので、夕方7時ぐらいにでも来て貰おうか、済まないね!」
「いえ、お声をかけて頂いただけ幸せでございます」
電話の向こうで仲道が丁寧に頭を下げている様子が目に浮かび様だった。
その日の夕方7時半から親子3人に仲道と川崎を加えた5人が、新大久保の自宅で翔太の合格祝いの膳を共に過ごした。
仲道は腕時計を、川崎は万年筆を夫々に持参した。翔太は恥ずかし気に頭を掻きながらも、それらのプレゼントを嬉しそうに受け取った。こうして祝いの夜は楽しく過ぎ去った。夕方から外では雪が降り出したが新大久保の自宅の中は温もりに包まれていた。
「ことぶき」グループは徐々に売り上げを落としていたが、まだ時の流れは緩やかで過去の貯蓄も十分にあったので誰も危機感を抱いてはいなかった。
清吉は社長に返り咲いて8年目を迎え、本業に勤しんでいたが不景気の波には勝てず、事業展開の方向性を悩み抜いていた。紀子とも色々と話し合い「ファミレス」への参入も視野には入れたが決意は固まっていなかった。
次回に続く

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