霜月の夕暮れ(4)

昨日から今日までの事を心の急くままに一部始終を話して聞かせた。誰かに何かを語らずにはいられない。話す事で自分の不安を少しでも解消させたかったのだろう。妹も夫も殆んど半信半疑で、
「それって、お姉さんの考え過ぎじゃあない。天ぷらを焦がしてしまうなんて事は私にだって偶には、そんな事だってあるわよ…。それに天井まで火柱が上がったりしていれば、誰でもショックを受けるんじゃあない。その事だけでお母さんの呆けが始まったと云うのは納得出来ないわ!」
と、妹の静子は全く賛同しなかった。
夫の反応は少し違っていたが、それでも伸枝の話を全て信じていると云う訳ではなく、
「冷蔵庫の中の物が賞味期限の切れた物ばかりだったと言うが、俺だって忙しい時はそんな事もあるぜ…ともかくしばらくの間は冷静に見ていたら。意外とそんなに大袈裟な事ではないかもしれないんじゃあないか!…まあ、俺が出張中はお前もお母さんと一緒に住んでいたら良いだろう。俺の方はまだ一ヶ月以上は帰れそうにはないから…ともかく少し冷静になれよ、な…」
出張が多く単身赴任が半年以上も続く事が稀ではない夫は自分の体験から、さりげなく伸枝に反論した。妹も夫も現実の状態を見ていないから母の異常とも思える行為が容易には理解出来ないらしい。ともかく急ぎ4日分ぐらいの着替えをボストンバックに詰め込み、目白のマンションを出る。
午後1時前には何とか田端の実家に戻ったが、母は一人で冷凍庫の中にあった焼きおにぎりを電子レンジで温めて食べていた。伸枝は少し慌てて、
「お母さん、そんな物を食べちゃお腹をこわすでしょう?」
と、彼女なりに優しく諭したが母は怪訝な顔で伸枝を見つめ、
「お前は、何を言ってんの。結構このおにぎりは美味しいんだよ。大体もう1時にもなっているじゃあないか。直ぐにマンションまで行って戻って来るなんて言ったって、まるで戻って来ないじゃあないの!…何時まで待たせるのさ、全くもう…」
そう言われて伸枝には返す言葉もなかった。
「お母さん、ご免なさいね。4日分の着替えを入れたり、家の戸締りをしていたら遅くなってしまったのよ。そんなおにぎりなんか食べないで私と一緒にお寿司でも食べに行きましょう!」
「何を言ってんのさ、このおにぎりだけで十分だよ。何よ、お寿司なんて!…贅沢な…」
母の吉子は少しムッとした表情で伸枝の申し出を拒否した。
「だってお母さん、今朝もおにぎりを食べたばかりでしょう。そんなにおにぎりばかり食べていて飽きないの?」
「別に冷蔵庫にあった物だもの、何もわざわざ外に出かけて寿司を食べに行く事もないだろうに!」
「でもお母さん、冷蔵庫に入っていたおにぎりはかなり古いわよ。ともかくお願いだから、そのおにぎりを食べるのだけは止めて…」
伸枝はほとんど強引に母が食べかけのおにぎりと、残りの一個も処分しようとした。その娘の力づくの態度に吉子は怒り出し、ごはん粒の手で伸枝が捨て去ろうとしていたおにぎりを取り返そうとして体当たりでもするかの勢いで迫って来た。母子は6畳の和室の真ん中でぶつかる様にして倒れた。
「親に向かって何をするんだ??
それでも私の娘か…?!」
と、吉子は伸枝に罵声を浴びせかけた。
浴びせかけられた言葉より、伸枝の心は情け無さでより深く痛んだ。知らぬ間に涙の滴が畳の上に落ちた。
次回に続く



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