霜月の夕暮れ(6)

ガス台も使える様になって一段落した。ともかく何にでも諦めずに挑戦してみようと云うのが、伸枝本来の性格でもある。会社でも他の女子社員がすぐに断念しかけた仕事を幾度か工夫を重ねている内に成功させた実例は数多くあって、そんな彼女の性格が社内で唯一の女性課長昇進を成し遂げる結果となっていた。
ガス台も何とか使える様になって、お茶の一杯も飲もうかとヤカンを探し水道の水を入れた。どうしたのか、なかなか水が溜まらない。不思議に思ってヤカンの下を見ると底の端に小さな穴が開いている。これでは水が溜まる訳はない。一体、母はこれまでどうしていたんだろう。お湯を沸かすと云う事はなかったのだろうか?
「お母さん、このヤカンには小さな穴が開いているみたいだけど…お茶を飲んだりした事はないの?」
「おや、そうかい。この間からヤカンの調子が悪いとは思っていたんだが面倒くさいから、そのまま放って置いたのさ。道理で水が溜まらない訳だよ!」
と言いながら、母はゲラゲラ笑っていた。そんな母の笑い声を聞きながら伸枝は何とも言えない薄ら寒さを覚えた。
やはり母の何かが違っている。もっと几帳面な性格の母であったのに…穴の開いたヤカンに平気でいられるなんて、そんな母ではなかったはずだ。仕方なく近くのスーパーへ新しいヤカンを一つ買い求めに出かける。ヤカン一つの事で、これ以上に母と何か遣り取りするのも疲れそうだ。自分一人で買って来た方が面倒がなくて良いと伸枝は考えた。ついでに夕食の買い物も済ませた。今夜はお鍋にするつもりで、肉やら野菜やらを色々と買い集めた。午後5時半、実家に戻り夕食の準備にかかる。母が手伝いに出て来そうだったが、
「今夜は私がやるから、お母さんはテレビでも見ていたら…」
と言って、和室に追いやる。どうにも母がそばにいると落ち着かない気がして来た。何かチグハグな事をされて逆に台所の仕事が増えてしまうのでは…そんな不安さえして来るのだ。食器棚の汚れも気になるし、茶碗やお皿の欠けたものも幾つかは混じっていたりして、母の日常生活をあれこれ思いやると気になる事ばかりで、心は重くなる。
夕方7時半、やっと食事の準備が整い和室の炬燵で母と二人で鍋を囲む。何か足元が寒い。部屋の寒暖計は9℃を指していた。母は厚手のセーターを着込んで何ともない顔つきだ。よく見ると炬燵のコンセントの電源が外れている。祖父母からの古い日本家屋で、すきま風も多い。暖房器具は炬燵と電気ヒーターの二つに頼っていた。
「お母さん、炬燵の電源が入っていないわよ、寒くはなかったの?」
と尋ねると、平気な表情で
「おや、そうかい。それは気づかなかったね」
と、屈託のない返事だった。仕方なく伸枝は一人で炬燵の電源を入れに行った。
足元が少しづつ暖かくなって来た所で親子二人が鍋をつついた。身体も暖まりお腹も満足して来ると、細かい事はどうでも良いかと言う気分にもなって来た。この家にもエアコンを入れるべきなのだが、これまでは何となく昔ながらの習慣に流されエアコンの使用にまで両親とも頭が回っていなかった。
この年の2012年(平成24)11月16日には民主党の野田第3次改造内閣が解散して同12月16日の衆議院選で自公民が大勝、自民党の第2次安倍内閣が政権に返り咲いた。「日本再建」を誓って、この内閣は動き始めた。未来に何か景気浮場感はあったが…
次回に続く

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