霜月の夕暮れ(13)

その夜は食事を取る事も忘れて二人とも、ただ見つめ合っていた。夜も10時過ぎになって俊治が、
「伸枝、少し飲んでも良いかな?」
と、冷蔵庫の中から氷を出しかけた。
「あら、あなた…ご免なさい。食事も作らないで、いまお酒のおかずを作るわ!少し待っててね」
「いや、伸枝も疲れているだろう。冷凍のピザか何かを電子レンジで温めりゃあ良いよ。俺が自分一人でやるさ。お前も何か食べな、一人考え込んだって身体に悪いだけだよ。むしろ、こう云う時こそ体力をつけなければ心身共に参ってしまうだろう。もし万が一にも純一が小児癌だったとすれば、これからは長い闘病生活が待っているだろう。それこそ、伸枝も俺も体力勝負になるんだ…」
夫にそう言われ、彼女は俊治の心の優しさを今日ほど感じた事はなかった。根っからの商社マンで、国内外を問わず常に何処かを飛びまわっている夫に家庭の雑事を頼む事はタブーであると思い込んでいた。その夫は今の会社に入社して10年目、かなり油の乗り切った仕事人間だった。それでも、こんなに前向きに子どもの病気に共に向き合ってくれるのだ。自分よりは4つ年上の夫に改めて惚れ直す思いがした。ピザにタコ焼きの冷凍食品を電子レンジで温め夫と二人で手軽な夕食を共にした。夫はウイスキーの水割りを3杯ほど飲んだが、伸枝はホウジ茶を飲んだ。純一はベビーベッドでスヤスヤと眠っていた。夜は11時半を回っていた。久しぶりに夫婦で風呂に入った。伸枝は、はしたないと思いつつ自分の方から夫に激しく愛撫を求めた。俊治は伸枝を優しく彼女の心に安らぎを与えるかのような愛撫を繰り返した。そんな愛撫を受けて、この夫とならどんな苦しみをも耐えられるのではないか、そんな思いの中で彼女の心は何時しか陶酔して行った。
1993年2月4日の木曜は朝から晴れ上がり、2月とは思えない暖かい日であった。伸枝は6時前には起き出し朝食の準備にかかり、8時に親子3人が俊治の運転で目白のマンションを出た。病院には8時45分に着き、小児外科の受付を済ませた。外科部長が大学の同級生であると云うだけの事があって、検査スケジュールがスムーズに予約されていた。先ずは腹部のCTが撮られた。伸枝がX線予防衣を着用して純一の撮影介助に当たった。純一の手を握りながら、
「純ちゃんは、お利口ね。直ぐに終わるからね…」
と懸命に、あやしながら何とかCTの撮影を終え、次が腹部の超音波エコー検査となる。検査室が暗いので泣きじゃくる純一の頬や脚をさすりながら、やっとの思いでエコー検査も撮り終えた。検査終了後10時半に外科部長の診察となった。50才前後の頑強そうではあったが、優しさを内面に兼ね合わせ信頼が置けそうな医師であった。
医師はCTとエコーの検査結果を交互に見比べ、強張った顔つきをしていた。5分程は黙っていた。伸枝と俊治には1時間以上にも感じた長い沈黙の時間であった。医師はそれまでの強張った顔つきを、にこやかに改めて
「すいません、お待たせしました。朝から立て続けの検査でお疲れでしょう」
と、労いの言葉から始めた。しかし、直ぐ職業的な顔に戻り…
「う~ん、厳しいですな」
と、説明前の溜め息がもれた。
「やはり、小児癌なのですか?」
と俊治が、尋ねた。
「はい、間違いは無いと思います」
医師は言葉を選びながらもCT上の画像を指差しながら話し出した。
次回に続く
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