霜月の夕暮れ(17)

それでも外科部長は嫌な顔の一つも見せず…
「申し訳ありませんが、未だ純一くんの術後観察が残っていますので、これ以上のご質問は明日以降と云う事で、お許し願えませんか…」
と、答えた。
そう言われて、彼等夫婦は互いの顔を見合わせた。少し自分たちの無遠慮な質問の多さに気づき、
「すいませんでした、先生もお疲れの所をあれやこれやと…」
そんな答礼を受け、逆に医師の方が恐縮した。
「いいえ、たった一人のお子さんの生死にかかる事ですから、どの様な質問を頂いても良いのですが今日は未だ遣り残した仕事がありますので…」
と答えて、一礼した。
「それと、これから当分の間はICU(集中治療室)で、お子さんは診させて頂きますのでご両親はお帰りになって結構です。更に10日程は面会謝絶となりますので、その点もご了承下さい」
「えっ、10日も会えないのですか?」
と、伸枝がすがる様に尋ねた。
「はい、感染対策上の事ですのでお許し下さい。ただガラス越しなら、ご覧になれます」
「あなた、10日も純一に会えないなんて私はどうすれば良いの?」
医師は、そんな伸枝を慰めるかのように
「ご心配には及びませんよ。完全な看護体制でやってますからそれと窓越しになら、先ほどもお話ししましたが毎日でもお子さんの顔を見る事は出来ますよ」
と説明した。
「窓越しなんて、まるで牢獄じゃあないですか?」
「伸枝、それは言い過ぎだろう。先生方に失礼じゃあないか。申し訳ありません、女の事ですから多分に感情的になっていますので…」
「いいえ、いいえ、母親の立場で考えるならば当然すぎる感情です」
「そうやって先生に言って頂けると助かります。それでは今夜の所はお言葉に甘えて妻共々一度は帰らせて頂きます」
そのまま二人は静かに病院を出るしかなかった。寒いと思ったら雪が降っていた。伸枝の小さな傘一本に二人は身を縮める様に寄り添った。今朝から何一つ口には入れていなかった。夜10時では駅の立ち食いソバも閉まっていた。帰り際のファミレスに立ち寄り少しの腹ごしらえをした。何をどう食べたかも覚えてはいなかった。話す言葉も殆んどなかった。互いの顔を見合わせては、溜め息だけがもれていた。
俊治は何時も仕事に追われ、家に帰っても純一の寝姿しか見る事はなかったが、それでも純一のいない我が家に妻と二人だけで帰る寂しさは心では推し測れない。夜遅く帰っても、子供の安らかな寝姿を見てこそ1日の疲れが取れると云うものだ。そんな俊治に比べれば一日中、子供の面倒で明け暮れている伸枝の寂しさはその比ではないだろう。寝る間も惜しんで純一の世話だけで一日が終わっているのだ。朝起きてオムツの交換に始まり、乳房を吸わせ離乳食を作り食べ物の適度な温度調節に心を配り、一段落した所で軽い赤ちゃん体操をさせる。天気の良い日はベビーカーに乗せ散歩にも出す。家に帰っては、またオムツ交換をして乳房を吸わせ、離乳食と続く。こんな事の繰り返しの毎日である。そんな伸枝は明日から、どう過ごしたら良いと云うのか?…赤ん坊のいない洗面所で一人、乳房の中の母乳を捨て去るのか?
次回に続く
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