霜月の夕暮れ(20)

「その水腎症になれば、どうなるのですか?」と、
重ねて俊治が尋ねた。医師は淡々と答えた。
「一口に水腎症と言っても原因は色々とありますが、尿管結石の様なものであれば単純な手術で直ぐに治りますが、癌性ですと尿毒症により生命的な危機が早い段階に来るかもしれません」
「すると、純一の場合は癌性の水腎症になる危険性があると、仰るのですね!」
「その通りです。これ以上に癌細胞が拡がらない間に早期の手術をする事をお勧めいたします」
医師は何の感情も混じえず教科書通りの答え方をした。
「そうですか、また手術が必要ですか…!」
俊治は天井を睨みながら逡巡した。未だ生後6カ月をやっと過ぎたばかりだと云うのに、この子は2度も大きな手術を受けなければならないのか?…頬に一筋の涙がすっと流れたが手ですぐに拭い去った。
「分かりました先生、手術の件は宜しくお願いします。未だ1才にもなっていないと云うのに純一、純一よ、何て星の下に産まれて来たのだ…!」
俊治の言葉は途中から潤んで来た。
医師は廊下の縁に目をやりながら、
「何とか純一君の生命を救いたいと、私たちも精一杯に頑張ります」
とだけ答えた。
「先生、どうかお願いですから私にもう一度、この腕に純一を抱かせて…⁈」
悲痛とも言える伸枝の叫びだった。
「分かりました、極力ご希望に添える様に努力します」
俊治はやや冷静になって、
「ところで手術のご予定は?」と、
改めて問い直した。
「今、手術室の空き状況を確認して来ますので、しばらくお待ち下さい」
数分もしない間に医師は現れ、
「何処も手術室は一杯なので2日後の日曜、午後1時から緊急用の手術室を何とか一つは確保して来ました」
と、少し息切れしながら医師は答えた。
「日曜でも先生方は手術をなさるのですか?」
「時と場合によっては、行ないます」
「そうですか、お医者さんて大変なのですね…」と、
俊治は答えた。
こうして純一の2度目の手術が始まった。3月の半ばであったが雪の多い日であった。手術は1時過ぎに始まり、6時には終わった。前回の半分近い時間だった。手術自体は成功に終わったが、2度の手術で体力の消耗は著しく再びICUでの治療管理となった。10日前にやっとICU管理から抜け出せたばかりだと云うのに…それでも純一は何とか生き永らえていた。しかし、転移の恐怖からは逃れない。術後10日目からは抗癌剤の化学療法も開始され、純一の体力は日増しに衰弱していた。6月には一度心肺停止に見舞われたが、人口呼吸器が挿入され純一の小さな心臓はまた動きだした。
季節は春から梅雨に向かっていた。暑い夏も何とか乗り切った。10月に入り、純一の癌細胞はまた増殖を活発化させた。まさに万策尽きた思いが強く出て来た。中心静脈も何度か挿入し直し、アルブミン製剤の補充にも注意を怠らなかったが11月18日、彼の心臓は微動だにも動かなくなってしまった。こうして彼の9カ月に及ぶ闘病生活にも幕が閉じられた。わずか一才ちょっとの生涯だった。
伸枝は最早涙の一滴も出なかった。11月21日、小さな亡き骸の小さな葬儀が営まれた。伸枝はもう子供は二度と作りたくないと思った。
次回に続く
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