霜月の夕暮れ(24)

多くの患者さんも高度な医療機器を信頼する傾向が圧倒的に強い。だから日本では世界でも例がない程、CTやMRIが数多くの病院に置かれている。不必要に多すぎると言っても過言ではないだろう。
その分だけ、医師個人の診断能力が低下する傾向にあるかもしれない。自分で考えるより先ずは医療機器に頼り過ぎるからだ。
脳腫瘍とか膵臓癌などは高度の医療機器の上にこそ、より精度の高い診断を得る事が出来るし、それ以外にも医学の進歩に大きな貢献を果たしているのは紛れもない事実であるかもしれない。
しかし認知症や精神疾患の一部は丁寧な問診の積み重ねが、より重要な事もある。何でもかんでもが高度な医療機器で適切な診断が下せる訳ではない。その現状をもう少し見て行こう。
都立病院でアリセプト3mgの服用指示を受け、その2週間後に伸枝と吉子は再び同じ医師の診察に赴いた。
「どうですか、お母さんの体調は?」
と、医師はパソコンに目を向けながら聞いて来た。
「はい、お薬を頂いてから生活動作がスムーズになった感じがします」
伸枝は感じたままに、そう答えた。
「それは良かった。吐き気などの消化器症状は何かありましたか?」
医師はパソコンから目を離さずに再度尋ねて来た。
「いいえ、食欲もいたって順調です」
「アリセプトが上手に作用して来たのですかね、では3mgから5mgに増量してみましょう。1ヶ月後にまたお出で下さい。それでは、お大事に…」
1時間半も待たされて診察はいとも簡単に終了した。
「お大事に…」
と言った時だけ医師は一瞬、伸枝と吉子の顔を見た。
何故3mgから5mgに増量するのかの説明はなされなかった。伸枝が質問をする間も無く次の患者さんが入って来た。
伸枝は何か腑に落ちなかったが、吉子は早く済んで逆に喜んでいた。その後の会計だけでまた1時間近く待たされ、母子は病院脇の薬局で薬を受け取り自宅に戻った。
翌日から伸枝は毎朝、会社に出かける前に必ずアリセプト5mgを吉子に飲ませる様にした。1週間程は何事もなく過ごした。
しかし8日目の火曜日、仕事が遅くなり田端の実家に戻ったのは夜も9時を過ぎてしまった。昨日の月曜日までは伸枝が帰ると必ず、
「お帰り、お腹が空いただろう。もうご飯の準備は出来ているからね…」
と優しく言ってくれたのに、今夜は機嫌がすこぶる悪い。
「今、何時だと思っているんだ!…いつまで私に腹を空かして待たせるのさ!」
と言われ、伸枝は一瞬言葉を失った。
確かに電話の一本も入れずに遅く帰って来たのは悪かったが、そこまで怒る事もないだろうに…と考えたが、ともかく謝った。
「お母さん、ご免なさい。先に食べてくれれば良かったのに…」
と言った伸枝の態度に、吉子はさらに怒りを募らせた。
「何だ、その言い草は。寒いだろうから温かい物を食べさせようと思ったのに、こんな時間まで…まったく⁈」
と、けんもほろろな対応ぶりだ。
ともかく、その夜は何とか吉子の機嫌を取って二人で夕食の席に着いた。
翌朝も出かける直前に玄関脇で、
「今夜も遅くなるんだったら、そのまま自分のマンションに帰っておくれ!」
と、吉子から罵声に近い言葉を浴びせかけられ憂鬱な一日の始まりとなった。
次回に続く
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