霜月の夕暮れ(29)

大塚の病院でもらったアリセプト2mgを服用させて5日目頃から、母の認知症状は明らかに軽減して来た。物忘れも減って来た。調理や味つけも以前に戻り、話し言葉も多くなって来た。
「あれが…!」
「ほら、何だっけ…!」
などの指示代名詞は、伸枝も極力使わないようにした。
「あのスーパー…じゃあなくて、駅前のスーパー三和でしょう」
と云う様に、出来る限り
「あの…」
「その…」の言い方は避けた。
年を取ると、どうしても面倒くささが先に来て「認知症」でなくても指示代名詞が多くなる。脳トレーニングと云う意味でも指示代名詞は避けて、固有名詞を多く使うべきなのだ。
さらに散歩などを通して下肢の筋力を落とさないと云うのも重要である。大塚の病院から戻って、伸枝は起床時間をそれまでの6時半から5時半にして出勤前の30分間は必ず母と散歩をする様に心がけた。こうして吉子は心身共に元気になって行った。その後も大塚の病院には通い続けアリセプトは2mgのままで2ヶ月以上が続いた。感情の起伏もなく吉子は心穏やかに過ごしていた。
しかし4月になって、俊治に突然南米への出張命令が出された。新しい鉄鉱石の開発事業部門の責任者に抜擢されたのである。会社役職も本部長兼取締役となり、年収も2500万円と上がり、さらに海外出張手当が500万円も付加された。
伸枝の企画「グルメ探し」の編集もかなり当たり、雑誌の販売部数も相当に伸ばした。そこで問題になって来たのが夫の俊治を単身赴任させるか、伸枝も付き添うかと云う事である。今度の南米出張は恐らく1年以上は続くであろう。彼も50才を過ぎて、さすがに単身赴任は辛そうだ。しかし、伸枝には仕事もあるし、母の吉子もいる。
二人は数日間、あれこれ話し合った。会社には長期休暇の申請が可能なのか、それとも一時的には退職も考えなければならないのかと…伸枝は迷いに迷った。そして辿り着いた結論は、俊治が現地に慣れる1ヶ月間だけ同伴で南米に行ってみるとの妥協案であった。
伸枝は会社に、新しい編集企画「南米での日系人」を特集してみたいと申し出た。「グルメ探し」の企画がかなりの成功を見たので、この新しい企画も何とか受け入れてもらった。それでも伸枝の夫が南米に長期出張になる事は、社内では衆知の事実となっていたので取材費や交通費は出なかった。ただ1ヶ月間の給与保証と10万円の調査費が支給されただけである。出版業は何処も台所は「火の車」なのだ。ただし今度の企画も当たり、大幅に販売部数を伸ばせれば、それなりの臨時賞与は考慮されると云う付帯条件はあった。それ以外に妹の静子への説得にも手間取った。田端から川口までは電車で行っても大した距離ではないし、時間も片道は15分ぐらいで徒歩を入れても20分そこそこである。電車料金にしても200円足らずだ。しかし、彼女の長男が大学受験に失敗して、予備校生活となり物入りも嵩(かさ)み静子の生活は楽ではない。夫の年収は俊治の足元にも及ばず、静子がパートで稼ぐにも10万円には手が届かなかった。姉妹間の経済格差は大きかった。伸枝は短大卒だったが、静子は高校中退だった。
どちらにしても母一人で1ヶ月間も独居の生活をさせるには不安が大きい。せめて週2回ぐらいは妹に母の様子を見て欲しい。話し合いの結果は妹がパートを縮小させ、週2回は母と一緒に夕食を共にしてもらうと云う事で伸枝が月7万円支払う約束をした。
次回に続く
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