霜月の夕暮れ(30)

2013年5月15日(水曜)は青空の気持ちの良い日であった。ブラジルに向かって伸枝夫婦は成田空港にいた。ブラジルまでの直行便はなくアメリカ経由かヨーロッパ経由で行くしかなく、所要時間も25時間あまりもかかる。俊治は重役待遇だからビジネスクラスの席が用意されていたものの、伸枝の席は自前となる。それにしても長い旅だ。 
日系ブラジル人はサンパウロだけで100万人はいる。ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、1908年(明治41年)以降の約100年間で13万人の日本人がブラジルに移住し、約160万人の日系人が住むといわれている。
しかしながら、二十世期後半から日系ブラジル人が大量に日本に永住帰国あるいは移住した。
在日ブラジル人は2000年代中頃まで顕著に増加して、日本政府の発表では35万人とされている(この中には日本国籍を持つ者、移住後に日本国籍を取得した者は含まれない)。
その後2008年秋のリーマンショック以降、日本国内の不況を受けて製造業の雇用が減ったことから毎月1万人程のブラジル人が減少し、2011年時点では既に多くがブラジルに戻ったが、2012年に入り、再び日本への移住希望者が増え始めた。
5月16日午前11時サンパウロに着いた伸枝夫婦は、現地スタッフの案内で先ずはホテルに案内された。3時間ぐらいホテルで休み、午後2時にはブラジル支店に夫婦で出向いた。東京本社と違って、そこはビルのワンフロアー300平米が幾つかに仕切られた空間で、その一区画30平米に俊治が仕事をする支店長室兼応接室が用意されていた。絵の一枚も飾られていない殺風景な部屋であった。大きなカレンダーだけが壁につるされていた。
伸枝は俊治の仕事現場を見て、こんな所で一年以上も現場の責任者としての仕事をさせられる夫に限りない同情を覚えた。
ともかく日本経済は病弊していた。天然資源の多くは海外に頼るしかない。総合商社もバブル以前の勢いはない。開発事業は金もかかるし、その身の安全性さえ保障されていない。ギャンブル的な要素も多分にあるのだ。それでも日本人の誰かが頑張って必要な天然資源を確保して来なければならない。このカレンダーだけの支店長室を見ただけでも夫のこれからの気苦労が思いやられる。この日は到着したばかりなので、挨拶回りが中心で5時には夫の宿舎となる2DKのマンションに案内された。今晩だけはホテルに泊まって明日からは、このマンションに移るらしい。
重役兼支店長だから、せめて戸建の住宅が用意されていると思った。夕方8時夫婦でささやかな晩餐をホテルのダイニングで共にした。幾つもの歓迎会が予定されているようだが、今夜は夫婦二人で過ごせるのが有り難かった。まだ旅行の疲労と時差ボケが残っていたものの、日本から見たら地球の裏側に当たる場所で夫婦がワイングラスを交わすのも感慨深いものがある。
「ずいぶんと遠い所まで来たのね。しかし、あなたと二人だけでワインを飲むなんて何年ぶりかしら?」
「そうだな、お前とワインを飲むなんて、一体何年ぶりなのか記憶には殆んどないなぁ…何時も忙しく動き回っているからな!…それにしても夫婦って何だろう。何時も一緒にいる様でも住む世界は別みたいな気もするし…な」
「それはそうと、静子とお母さんは上手く行っているかしら!」
「それは大丈夫だろう、何て言ったって母子なんだから」
「でも静子は母の事を認知症とは思っていないのよ、その事が心配だわ…」
次回に続く
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