霜月の夕暮れ(38)

こうして田端での本格的な母子の生活が始まった。2013年の梅雨は雨量も少なく夏場の水不足を心配されたが、母親の歩行訓練には何よりだった。6月18日の退院からは、なるべく母と散歩をしたり食事の買物も一緒に出かけるように伸枝は努めた。アリセプトは中止したままだったが吉子の認知機能は少しずつ改善して行った。車椅子も屋内用と外出用に分け、所々では利用した。
さらに伸枝は母親の青春時代のCDやミュージックテープを出来る限り買い求め、自宅の中で流し続けた。
吉子は美空ひばりの「港町十三番地」と石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」がお気入りみたいだった。彼女が若い頃の流行歌である。歌詞は出て来ないものの、鼻歌まじりの節は出て来る様だった。そんな歌謡曲を聞きながら吉子は、とても嬉しそうだった。
妹の静子とは電話で遣り取りするぐらいで会う事は殆んどなかった。整形外科病院での支払いは伸枝が総て済ませたので、ブラジルから静子に送金した50万円のお金がどうなったのか分からないままだったが、伸枝の方からは詮索しなかった。
雑誌社からは200万円のボーナスも出て彼女の懐も比較的に温かったので、経済的な余裕はあった。
それよりは母親と暮らす内に、「認知症」とは何であるのか、彼女の記者魂が限りない興味を抱き始めた。
「認知症」が薬で治るものなのか、そんな疑問もあった。吉子には介護認定を受けさせ老人ホームのデイサービスを週に数回利用し、その合間を狙って図書館に何度か足を運んだ。
先ずはネットで多少の当たりをつけ、その裏付けを図書館で探した。認知症に関する本も2冊ほど借り出す事が出来た。認知症治療薬の歴史も探り当てた。
日本で最初に承認された認知症治療薬はT製薬が開発し、1978年1月に厚生省から認可されたH酸カルシウムである。始めは子供の精神発達遅滞に伴う意欲低下などの治療目的で売り出したが、1983年2月に脳血管障害の後遺症改善薬としての効能が追加された。
これを契機にH酸カルシウムは認知症治療薬として、爆発的に売り上げを伸ばして行った。
その後、H酸カルシウムと同等の有用性があるとして承認を受ける類似薬が次々と登場した。しかし1998年にH酸カルシウムの副作用で11名の患者が死亡していた事が判明し、厚生省はH酸カルシウムの脳血管障害後遺症改善薬としての効能を取り消した。
H酸カルシウムが売り上げを伸ばしに伸ばしている間に、大手製薬会社が幾つもの認知症治療薬を開発して年間売り上げを1千億円と市場規模を大きく拡大して行った
しかし医療保険財政悪化を背景に、当時の大蔵省が薬の再評価を厚生省に強く要求した。数年間に及ぶ大蔵省の要求で1996年に厚生省はやっと重い腰を上げプラセボ(偽薬)との比較試験を指示した。
その結果、上記薬剤の全てに有用性が否認された。何故、有用性の認められない治療薬が長い年月にわたり放置され薬剤費の膨大な無駄遣いに繋がったのか、その奥底には厚生官僚の大手製薬会社への天下り問題が潜んでいるかもしれない。この縮図は製薬会社と厚生官僚の問題にとどまらない。医学界と大手製薬会社の間にも不自然な関係があるように、伸枝には感じられた。
ここまで調べ上げ伸枝は、深い溜め息をついた。何を信じて母の認知症問題に立ち向かって良いのか、言い知れぬ不安に襲われ出した。
次回に続く
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