霜月の夕暮れ(39)

吉子と伸枝の生活が始まり1ヶ月以上が過ぎ、暑い夏が来た。6月中には伸枝は田端の実家にエアコン3台を買い求めた。1台はリビングに、後は自分と吉子の寝室に1台づつである。
吉子は伸枝との安定した生活の中で、心のバランスも良くなって行くのか言葉も多く出る様になって来た。
「伸枝、オシッコに行きたい。ウンチをしたい」とか、排便、排尿の訴えが言える様になって来た。それは乳幼児の発達過程に似ていた。伸枝は実の母親を通じて、この認知症問題に取り組んで行ける事に限りない喜びを感じていた。
認知症、それは唯の老化現象なのか、それとも一つの大きな疾患なのか、伸枝の探究心は、限りない知的好奇心へと発展して行った。
紀元前、秦の始皇帝から遡(さかのぼ)って不老長寿の薬は探し続けられていた。
しかし紀元前の時代、如何に皇帝の地位を持ってしてもそれは適わない夢のまた夢でしかなかった。だが20世紀後半から人間の寿命は確実に伸びて来た。
その一番の原因は感染症の多くが克服された事、出産時の死亡例が激減した事、そして乳児期の死亡事故が稀有に成ったこと等が最大要因である。20世紀初めで日本人の平均寿命は44才でしかなかった。英国で50才、フランス47才、米国47才と世界中を見回しても50才に手が届くかどうかと云った所である。だから認知症問題は20世紀半ばまでは社会的な興味とはならなかった。
日本では有吉佐和子の長編小説『恍惚の人』(こうこつのひと)が1972年に新潮社から出版され、1973年には森繁久彌主演による映画化で、一躍、認知症が社会的な関心事となって来た。
さらに日本で100才を超える高齢者は1963年で153人、1981年には1千人台となり、1998年に1万人台、2003年に2万人、2012年には5万人と急上昇し、それに伴い認知症と診断される年寄りも急増して来た。
また現在の「日本認知症学会」の名称は2005年に改められた。その前身は1988年の「日本痴呆学会」である。この様に「認知症」と云う学問自体が未だ産声を上げたばかりなのである。
その意味では学問として未だ試行錯誤が続いている。診断にしても治療法にしても不確実な部分が多すぎると云うのが実情である。
認知症年令別出現率を見ると、
65~69才で1.5%、70~74才で3.6%
75~79才で7.1%、80~84才で14.6%、85才以上では27.3%
(厚労省「1994年痴呆性老人対策に関する検討報告会」)とのデータもあるが2013年現在の現状は分からない。
認知症治療薬の歴史から、その診断の不確実性までを一連のレポートにして伸枝は、会社の編集長宛に送り届けた。数日して編集長から彼女のケータイに連絡が入る。
「伸ちゃん、レポートは読ませてもらったよ。なかなか良いね。正に時代のニーズにピッタリだな。是非、認知症特集記事を連載してみたいね。これは絶対に売れるな!」
と、激賞された。さらに編集長は付け加えた。
「この認知症特集は、もしかすると社長賞になるかもしれないよ。この特集は我が社にだけ流して、他社には絶対に持って行かれては困るからね!」との、
念の入れ方である。
次回に続く
関連記事