霜月の夕暮れ(40)

8月初旬、伸枝は吉子を車に乗せ箱根に出かけた。吉子の杖歩行も安定して来て、車椅子は殆んど使用しなくなっている。母子でゆっくり温泉旅館に泊まりたいと考えたのには理由があった。
何も夏休みシーズンに出かける事もなかったのだが、
「お母さん、温泉にでも行ってみる?」
と、何気なく尋ねると、
「うん、温泉が良い…」
吉子が驚くほど自分の意志を明確に示した。この10年近く母は温泉などに出かけた事はなかったに違いない。亡くなった父がそもそも出不精で夫婦で旅行に出かける発想などなかった人である。
それが確か10数年前の年末に年賀状を印刷屋に頼んだ父が、買物福引券で湯河原温泉の一泊旅行を当てたと言って大笑いして帰って来た時があった。二人1組の旅行券である。
「折角だから行ってみるか」
と言って、父と母は2月初めに湯河原温泉に出かけたらしい。後で母から聞かされた話であった。その時の母はまだ60才前ではなかったかと思うが、その福引券の話は何度も聞かされたので母はよほど嬉しかったに違いない。
そんな事も忘れ伸枝が何となく口にした「温泉」と云う言葉に母は、父との思い出が溶け合ってか珍しく鋭敏に反応した。
シーズン中だと、値段も高いしサービスも悪いだろうとは考えたのだが、母の輝いた視線を前にしては直ぐにでも出かけなければ収まりがつかなかった。
初めは宮ノ下温泉にある富士屋ホテルを考えたが、階段が多いので小涌谷にある老舗の旅館を選んだ。杖歩行が上手になったとはいえ、旅館の段差に伸枝はそれなりの神経を使った。2泊の旅行で温泉には4回も入った。久しぶりに母の背中を流しながら、その腰から下の筋肉の衰えが嫌でも伸枝の目に飛びこんで来た。母の老いて行く姿が見せつけられる思いであった。「認知症」の問題と下肢の筋力の衰えは結びつくのか、改めて考えさせられた。
人類の知能の発達は歩く事により、両手が自由になったので飛躍的に伸びたと、高校時代に習った記憶がある。また別の故事も思い出された。
「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か」というギリシア神話のスフィンクスの謎なども頭に思い浮んだ。
人間は乳児期には、這い這い歩きの4本足で1才過ぎから2本足のヨチヨチ歩きが出来る様になり、老いては杖歩行の3本足になると云う喩(たと)えを表現したものである。紀元前の故事にも学ぶべき事は多い。
また、こんな格言も思い出された。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ドイツの名宰相オットー・ビスマルクの言葉である。
しかし、どうも実際は少し違うようだ。正しくは、
「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるために、他人の経験から学ぶのを好む」
と語ったと言われている様だ。
現代医療も、この格言から学ぶべき事が多いのではないか、ただ化学式を組み替えた薬剤だけで「認知症」が安易に治る様な錯覚に陥ってはいないか?
頭脳明晰と言われる薬学博士の「化学式の組み替え」も、彼等の経験則と云う罠に陥っていたのではないだろうか?…もちろん、そこには製薬会社の過激な競争社会も存在するのであろう。そう考えないと、10数年も無効な認知症薬が厚生省に認可され医薬品として大量に使用されていた過去の事実に説明がつかない。
そうでも考えないと、「H酸カルシウム」に代表される薬剤の無制限に近い服薬が何故許されたのか伸枝には、どうしても理解が出来なかった。
次回に続く
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