霜月の夕暮れ(45)

伸枝は母にデイサービスを利用させながらも、夫の車を借りて色んな場所に母親を連れ出した。東京ディズニーランド、八景島シーパラダイス、東京スカイツリーなどに出かけ母親共々に楽しんだ。義務的な介護だけでは長続きしないと考えたからである。
それにしても伸枝の様に、ここまで真摯に母親の介護に向き合う様な母娘関係は現実には存在するのだろうか?
そうお考えになる読者も多いのでは…
如何に母と娘と言えども、自分の家庭があって仕事を持っていたりすると、ここまで献身的に尽くせる娘と云うのは稀な存在かもしれません。
それでも筆者自身が、この様な娘さんの何人かは知っています。
そして、この様な母娘関係の元では認知症の悪化が極めて遅く、時には改善する例さえ認められます。
つまり、認知症治療の根本は医療よりは家族の大きな愛の支えではないかとの印象を強く抱いたりするのです。以上は筆者の独り言です。
年が変わり、吉子は独居が可能ではないかと思う程に身も心も安定して来た。そうなると伸枝は、雑誌記者の職場に戻りたいと云う思いが強くなって来る。1月中頃から、それとなく今までの会社に打診していた。
会社の方でも伸枝の取材能力を高く評価していたので、彼女の職場復帰には好意的であった。しかし常勤として完全な職場復帰とまでは踏み切れず、当分の間はパート勤務と云う事で折り合いがついた。
「お母さん、私また職場に戻るけれど大丈夫よね。それも毎日ではなく、お母さんがデイサービスに行っている時間だから…ね、心配ないでしょう!」
吉子は少し不安な面持ちであったが
「そうよね、あんたも私の面倒ばかり見てるだけじゃあ大変だもんね」
と一応は納得した。そうは言いつつ、幾らかの寂しさは隠せそうもない表情であった。伸枝は、やや後ろ髪が引かれる思いもしたが職場復帰の願いも強く、2月始めからパート勤務をスタートさせた。
久しぶりの職場は、やはり懐かしかった。1日5時間、週4日だけの仕事ではあったが精神的な満足感は得られた。
「認知症特集」に続いて、「介護日誌」を原稿に纏(まと)めてみた。母と自分の体験談を綴ったものである。薬に頼らず生活習慣の工夫でも認知症は改善できると云う実践記録である。
この「介護日誌」でも、雑誌の販売部数はかなり伸びた。医学的には素人の一雑誌記者が、時には現代医療への挑戦とも言える素朴な実践記録を書き示し、認知症患者を抱える家族たちには一つの救いと映ったのかもしれない。パート勤務とは言え、伸枝の輝きは課長時代より増していた。
雑誌の販売部数の伸びを知らされた編集長は、伸枝のそばに近寄り…
「山口さん、やはり貴女は凄腕の雑誌記者だ。原稿の内容が突出している。多くの認知症患者が、どれだけ貴女の『介護日誌』に救われた事か!…医療不信の根源を貴女が警鐘を鳴らした。我が社は本当に貴女を手放さないでラッキーでした」
との、恥ずかしくなるくらいの褒め方であった。ただの褒め言葉ではなく、伸枝の給与も時給1300円などと云う契約金額は何処に行ったのか、常に特別賞与が付いていた。
次回に続く
関連記事

コメント