霜月の夕暮れ(49)

さらに相談員は説明を続けた。
「都立病院ですと、赤字分は税金で補えますから。でも、民間の病院ですと税金で補うと云う訳にはいきませんでしょう!」
「はぁ、そんなもんなのですか?」
相談員は、少し気の毒そうな顔をして
「それが、都内の民間病院の実態です。正確に言うと療養型の病院と言うべきでしょうが…民間でも救急の一般病院ではそんなに高くはないでしょうね」と、
女性相談員が答えた。伸枝には何とも分かりかねる回答だった。
もっとも一般病院でも私立大学の病院では、室料差額が1日に5万円だとか10万円とか云う特別室もあると聞かされているので、一ヶ月に20万円前後の自己負担も止むを得ない時代となっているのだろうか?
医療保険制度や介護保険制度それに年金制度も含めると、日本の社会保障制度は疲弊しかかっているのだろう。
何がどうなっているのか分からないが、一度病気に罹って長期化すると大変な事になってしまう事だけは理解出来た。
こうなると、母の年金と父の遺してくれた2千万円の一部を利用させてもらうしかない。ブラジルの夫からの振込みだけでは、長期的には母の入院費用を捻出するのは困難だ。妹の静子はお金の事では相談出来ないし…
翌日の胃カメラの検査結果では胃潰瘍が発見された。担当医は、
「食欲不振の原因は恐らく胃潰瘍にあったと思います。しかし、この程度の胃潰瘍は飲み薬だけで1ヶ月かそこらで治りますから心配はありません」
と、説明してくれた。さらに医師は、
「それでは予定通り、明日の退院で良いですね。相談員も転院先の病院は見つかったと言っていましたので、今から紹介状をお書きしますから少しお待ち下さい」と、
有無も言わさない態度であった。
伸枝は言葉を挟む余裕もなく、ただ頷くだけだった。ともかく急き立てられ追い出される感じしかなかった。
ともかく北区赤羽に近い病院に転院となった。そこは希望通りのケアミックスの病院であったので、初めの2週間は一般病棟で入院治療を受け、その後は療養病棟に移された。
療養病棟に移ってから吉子は食欲も改善して来たが、一ヶ月以上も入院生活が続いた為か下肢の筋力はすっかり衰えていた。それに伴い認知機能も明らかに逆戻りしていた。
季節は3月も終わりに近づき、病院の桜も満開であった。伸枝は毎日の様に吉子の元に顔を出し、車椅子に乗せ母親を外の空気に触れさせた。
「お母さん、桜が綺麗ね。今が満開だわ!」
と、伸枝が笑顔で話しかける。
「さ…く…ら…!」
吉子の反応はまるで無感動に近い。
その認知能力は昨年6月の骨折の時期に後退している。伸枝が7ヶ月かかって努力して来た母親の認知症への取り組みが1ヶ月間の肺炎による入院で、すっかり逆戻りしていた。
何か全身から力が抜ける思いだ。
これまでの努力は一体何だったのか?このまま病院なり老人ホームなりに預けて自分本来の仕事に戻るべきでは…そんな焦燥感に襲われて仕方がなかった。
伸枝は何かを確かめたい思いで母親に尋ねた。
「お母さん、このまま病院にいる?
それとも田端の家に帰りたい?」
と、自分でも少し意地悪と思える質問であったが、吉子はしばらく考えているのか無言であった。桜の花びらが数枚、伸枝と吉子の頭の上に舞い下りて来た。伸枝は自分の質問を忘れたかの様に、
「お母さん、見て。桜の花びら…!」と、自分の中の小さな感動を母に投げかけた。
次回に続く
関連記事

コメント