霜月の夕暮れ(53)

さらにデンマークでの「在宅介護」は国が高齢者住宅を下支えして、24時間体制の介護システムを作り、家族が認知症の高齢者を介護する事は原則的にはない。認知症があろうと、なかろうとデンマークでは65歳以上の高齢者が家族と同居しているケースは実に6%でしかない。日本では50%にも上っている現状を見ると、核家族化していると言うのには未だ該当しないかもしれない。
成熟した社会と云うものは、多種多様な価値感を許容して個人の自由と権利を尊重する事にあるのだろうか、それも一定の規律を持って…。最低限の約束としては他人に迷惑はかけない、それは親とか子供にも同様である様だ、少なくともデンマークと云う国を見る限りは…。そこに要する経済的支援は高額な税金と云うシステムで維持されている。
日本の様に経済的合理性が先にありきではなく、高齢者や家族の利便性が先行しており、その後に経済的負担をどうするかを考えて行くと云う合目的性が重要視されているのだ。
成熟した国家では互助精神が根付き、貧富の格差も少ないのだろう。同じ白人社会でもアメリカだけは別みたいだ。やはりヨーロッパに比べ建国の歴史が浅い分だけ、精神的には発展途上にあるのかもしれない。良く言えば能力主義なのだろうが、先進国の中でアメリカほど経済的な格差が存在している国もない。基本的には医療保険制度そのものがないのだ。医学的には世界でも最先端の技術を持ちながら、その医療の恩恵に与れない国民が多数いて再貧民層の一団を呈している。
となると、日本の高齢者問題はどうなるのであろうか?
恐らくは医療にも介護にも何か明確な指針を持たず、国の予算とマスコミの報道操作に流された中途半端で忍耐を強いられる「在宅介護」が推し進められて行くに違いない。
「この国の高齢者介護の行く末は?」
妥協と諦めに行き着くだけなのか、そんな思いのなかで伸枝は会社に提出する記事を纏(まと)めた。
記事の内容は余りに地味で、伸枝自身が編集長に好意を持って迎えられるとは思えなかった。下手すると机の片隅に置き忘れられてしまうかもしれないと考えたりもした。
ただ今週は目立ったニュースもなく、雑誌に載せる題材が不足していたので伸枝が提出した原稿は、小さな特集として10ページ程の紙面を飾った。
ところが、予想に反して雑誌の売れ行きは好調で、前号に比べ50%以上の増刷となった。伸枝は自分の記者としてのプライドが少し報われた。
2014年5月末、赤羽の病院から吉子を退院させた。60日間に及ぶ入院リハビリで何とか杖歩行にまで回復して来た。しかし、認知機能はインフルエンザにかかる前のレベルには回復していなかった。ある程度の会話は成り立ったが、自宅の家事や炊事を任せるには程遠かった。それまでの和室に介護ベッドを置きポータブルトイレも横に備え付けた。
「要介護1」の認定を受け、吉子は週2回のデイサービスと週4回のホームヘルパーを手配してもらっていた。
これで伸枝は雑誌記者のパートを1日6時間ぐらいは、どうにか熟していたが、以前の様な母への介護に対する熱い思いが少し薄らいで行く自分に気づいていた。母親は75才、伸枝も49才となり更年期症状が強く、母親より自分の体調の変化に辛い思いをする日が多かった。
次回に続く
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