霜月の夕暮れ(57)

翌日から伸枝は毎日の様に病院通いを始めた。入院5日目頃から吉子は少しずつ食べる様になって来た。食べるといっても五分粥をスプーンに一口とか二口とかである。その頃から部屋を個室にしてもらい、朝食から夕食まで全ての食事介助は伸枝一人でやった。会社には介護休業を申請した。朝7時には病院に着いて、病室のカーテンを開け、母の洗顔を済ませる。食事もスプーン一口から少しずつ増え10日目頃にはスプーン5口ぐらいまでは何とか食べてくれる様になって来た。
焦らずスプーン一口ごとに、
「お母さん、お味噌汁も少し飲みます?…お粥の味は薄くない。ちょっとフリカケを使ってみる」
と、声かけを常にした。始めの内は、首を振って頷く程度だったが、段々と「うん」とか「うう~ん」とかの声も出始めた。声出しが多くなるにつれて、嚥下機能も向上して行った。
母がどの程度に理解しているかはともかく、食事の介助をしながら伸枝は盛んに昔話をした。伸枝が娘時代に散々に聞かされた父とのラブストーリーの話しが中心だった。当時父は今の田端の実家で靴屋を中心とした日用雑貨の店を祖父の代から営んでいた。靴がメインだが傘、雨合羽、帽子、タバコ、キセル、などを取り扱っていた。母は上野の大衆食堂でウエイトレスとして働いていた。吉子の実家は高田馬場にあって、高校卒業後は銀行員を目指していたが、その希望は叶わず、知人の紹介で食堂に働いていた。それは5月末の土曜日だった。吉子は同じ食堂のウエイトレス仲間が風邪をこじらせていると聞かされ、下宿先の田端に見舞いに出かけた。土曜の半日勤務だったので午後3時頃、友人の下宿に出向き1時間ぐらいお喋りをして高田馬場の実家に帰り始めた。下宿先を少し出た所で突然の雨に見舞われた。傘の持ち合わせがなく途方に暮れていた。通りすがりの店屋の屋根の下で雨宿りしていると、そこが父の輝夫の店であった。その雨宿りをしている吉子を見つけた父が、店で売っている傘を勧めた。
「この雨は直ぐには止みませんよ。何処までお帰りになるかは知りませんが、傘は必要でしょう!」
雨は止むどころか強くなって来た。しかし、吉子の懐は寂しかった。友だちへのお見舞いで果物などを買って財布の中身は小銭と定期券しか入っていない。傘を買い求める余裕はなかった。
金が無いとも言えず、たゞマゴマゴしていた。そんな仕草を見て輝夫は、それとなく察し…
「ついでの時で結構ですから、今日はこの傘をお使いなさいな…」
と、売り物ではない、自分の男物の大きなコウモリ傘を差し出した。その差し出された傘を見て一瞬、吉子は戸惑ったが輝夫の男らしい態度に好感を抱き、傘は有り難く借りる事にした。
「すみません、それではお言葉に甘えて傘はお借りします。近いうちに必ず返しに来ますから…え~と、私は原野と申します」
「原野さんですか?…まあ、傘の事はあまり気になさらず、こんな天気ですから早くお帰りなさい」
と言って傘を手渡してくれた。これが父と母の出会いである。幾度も聞かされた話しであったが、その光景は伸枝自身の思い出の様に今でも蘇って来る。母と同じ体験をしているかの様な錯覚に陥る時さえあるのだ。
翌日の午後、吉子はちょっとした菓子折りを持って田端の輝夫に傘を返しにやって来た。入口で目敏(めざと)く吉子を見つけた輝夫は急ぎ店の外に出て来た。
次回に続く
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