霜月の夕暮れ(62)

こうして母を田端の実家に退院させ、また新たな介護の1ページがスタートした。しかし、毎日病院に通うよりはずっと楽だった。朝も6時過ぎに起きて、ゆっくりと食事を作れば良かった。病院の時の様に食事の介助も母にだけ専念する必要はなく、一緒に食べれば良かった。ご飯は母の分は少し軟らか目にして、色々なお喋りを楽しみながら食べた。母は赤味噌が好きだったので味噌汁は赤だしが多かった。お新香に焼き魚それに卵焼きと栄養バランスも考えた。ご飯も半分は麦飯にした。
「お母さん、卵焼きの焼き加減はどう?…味は少し薄いかもね。でも薄味の方が身体には良いのよ。どう、この赤だしの味噌汁は?…病院ではこんな味噌汁は出ないもんね。美味しいでしょう、ナメコもたっぷり入れたから」
食事時の伸枝は、ともかく母にずっと話しかけ通しである。これまでの経験から考えて話しかけの時間が多ければ、その分だけ認知機能が改善して行く様な気がしてならなかった。
伸枝が言葉の刺激をかける程に、母の言葉も出て来る感じがするのだ。
新生児から乳児期にかけて母親が話しかけをすればする程、赤ん坊の言葉の発育が良くなって行く過程と同じかもしれない。
事実、自宅での生活が始まって5日目頃から吉子は…
「おいしい…!」を、
連発し始めた。とても嬉しそうな顔をして、
「おいしい…」
と言うのだ。その一言だけで伸枝は、どれ程に励まされる事か。毎日の献立にも工夫を重ねる気になれる。吉子が入院中は、伸枝は自分の為に食事を作る時間などある訳もなくスーパーで出来合いの物を買って来て、ただ口に入れるだけだった。
1日3食の献立を考えると云うのは、多くの主婦にとって最も気苦労な事の一つである。子供や夫の為に何とか頑張っているが、それでも慢性化すると段々に手が抜けて出来合いの惣菜物が多くなったりする。
新婚時代や子供が小さい時は、それなりに努力もするし、その努力も大して苦にはならないが家族関係に微妙なヒビが入り出すと、毎日の献立はどうでも良くなる。
子供は大きくなると、友達との付き合いが増え帰宅時間も遅くなる。夫は夫で何時になったら帰るやら分からない。家族の共有する時間が、どんどん少なくなる。朝は朝で、何も食べずにそのまま出かけてしまう子供や夫…
こんな環境では、食事の献立も何もあったもんじゃあない。
食べると云う事は、生命の維持に欠かせないものだが人間は根本的に感情の動物だ。他の動物の様に生命の維持だけが目的で摂食行為が順調に行く訳ではない。神経性食思不振症やストレス性の過食症などの精神障害では、極端な摂食現象が見られる。それは、痩せ過ぎだったり、太り過ぎだったりする。この様な精神障害の根源には感情のコントロールが制御不能に陥入っている事が多い。
と云う事は、健康的な食生活には健全な精神生活も必要なのだ。糖尿病で如何にダイエットを勧告されても、家族がなく、生き甲斐を喪失した人達にはバランスの取れた食生活を維持するのは極めて困難だ。理屈で分かっていても、不健康な食生活と云うものは簡単には是正出来ない。喫煙と飲酒の問題が最も分かりやすく一般的だ。
何故、健康的な食生活が出来ないのか?…と、問いかけるのは容易だが。
それらは環境的な要因に大きく左右されてしまう。教育水準もあるし、経済的格差もある。さらに、貧困が人間の精神をどの程度に蝕んでしまうかの報告は数多くなされている。
次回に続く
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