霜月の夕暮れ(71)

「静子の口から、そんな話を聞かされるとは思わなかったわ」
「あら、どうして!」
「どうしてって、言われたって…私からそんな理由を言える訳がないでしょう、あなたの子供の前で…」
そこまで言われて静子は伸枝が何を考えているのか、やっと理解した。高校2年の3学期に中退した静子が子供の大学受験の事で、あれこれ言うのが可笑しいと、伸枝は考えたのであろう。
静子は高校2年の正月過ぎから体調の変化が訪れた。吐き気が何日も続き食欲も出なかった。何をするにしても身体が怠くて仕方がない。3学期になっても学校を休む事が多くなった。母の吉子は心配になって静子を近くの医者に連れて行った。その結果は妊娠3ヶ月だと言われた。
その話を聞かされ父が烈火の如く怒った。
「相手の男は誰だ!…まだ高校生の癖に、一体どうなっているんだ。何しに学校に行っているんだ、…本当に!」
その脇で母と伸枝は、ただオロオロしているばかりだった。静子は自分の部屋に閉じこもったまま出て来ない。夕食の時間になっても誰も席には着かない。父はどてらを引っ掛け外出してしまう。駅前のパチンコ屋にでも出かけたのか、ともかく家中が静まり帰っていた。
食卓の上では美味しそうな「すき焼き」の鍋がグズグズと煮立っている。家の中を通り過ぎて行く、すき間風が何時もより寒々としていた。その内に母が一言…
「ご飯でも食べようか、折角のすき焼きじゃあないか」
と、言い出した。伸枝も同調して
「そうね、すき焼きに罪は無いもんね」
と、付け加えた。立ち込める、すき焼きの匂いが空腹感を誘ってもいた。
「静子も呼んで来たら…」
と、母が言うので伸枝は2階に上がった。
「静子、身体の調子はどうなの?
お父さんは出かけてしまったから下に来て少し食べたら」
労わる様にして伸枝は、静子の肩にそっと手を置いた。静子の頬には未だ乾き切らない涙の跡が残っていた。静子は思った以上に素直だった。
「うん…!」
と、頷いて1階に下りて来た。
父が居ないせいか静子の食欲は旺盛だった。この数日間の悪阻(つわり)は、嘘の様に消えていた。
「静子、お前本当はただの食当たりだったんじゃあないのか?」
と、母が冗談っぽく言うほど静子はよく食べた。
伸枝は何も言わなかったが、静子の相手の男の事は知っていた。テニス部の一年先輩に違いないと確信していた。半年近く前から、その先輩の名前が静子の口から度々出ていたのだ。そんな時の静子の目の輝きは正に恋する少女そのものだった。たぶん静子の初恋の相手なのだろう。学校からの帰りも何時からか遅くなり出していた。部活だとか、補習授業だとか、その度の理由づけはなされていたが、同じ県立高校に通っていた伸枝には、静子の話の裏が直ぐに見えていた。
クリスマスの夜などは12時過ぎに帰って来た。女の子同士4~5人でパーティーをやっていて遅くなってしまったと言い訳をしていたが、軽くアルコールの臭いが漂っていた。幸い父親は寝ていたので、その日は何事もなく過ぎ去った。
次回に続く
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