霜月の夕暮れ(72)

1月も下旬になったが静子は益々学校に行かなくなっていた。数日前に一度学校に行って、静子は相手の先輩と話し合ったらしいが、その彼は…
「俺の子供だと言う証拠があるのか?…もう直ぐ大学受験じゃあないか、変な噂を立てて俺の将来を傷付ける様な事はしないでくれ」
と言われ、泣きながら静子は学校から帰って来て伸枝にだけ、その事を打ち明けた。その2日後に静子は子供を堕ろし高校を辞めてしまった。それから2週間近く静子は寝たり起きたりの生活で家に閉じこもったままだった。父も母も、その頃には何も言わなくなっていた。
春が来て、静子はバイトに明け暮れる生活となった。伸枝も短大2年生となって就職活動に忙しい時期であった。
短大2年の夏に伸枝は先輩のコネで、何とか雑誌記者の職に内定した。入職して数年間は右も左も分からず、ただ夢中で仕事をした。
そして3年目に新しい編集企画「東大卒のエリートサラリーマン」
と云う、特集記事が組まれた。
伸枝は先輩記者の後に添い従う様にして取材に励んだ。彼女自身もこの企画には非常に興味を持っていた。卒業年度によっても、かなりのばらつきが見られるものの東大の毎年度の卒業生数は3千人前後で、高級官僚の道に進む人が150~170名程度、大手銀行が70~80名ぐらい、大手商社が60~70名、証券会社が20~30名で、それ以外に海外留学、研究者と多種多様である。または起業家を目指す人、自尊心が強くてフリーターになってしまった人、特殊なケースとしては精神科疾患に悩む人などもいたりして探って行くと興味が尽きない。
そんな取材を通して、伸枝は夫になる俊治に巡り合った。俊治は大手商社に席を置き入社5年目を迎え、意気揚々と輝いていた。そんな俊治との最初の対談が、伸枝の興味を強く引いた。彼が言う…
「一口に東大と言っても、ピンキリですよ。単純に言えば東大にしか入れなかった人間と、東大で我慢するしかなかった人間とがいるのですよ」
伸枝はその言葉の意味が理解出来なかった。そんな伸枝の気持ちを察して、俊治は説明を続けた。
「東大より、もっとレベルの高い大学がないので仕方なく東大に入った人間と、やっとの思いで何とか東大に合格出来た人間とでは雲泥の差があるでしょう。もう少し付け加えるならば、東大が単なる出発点であるか、ゴールに達したと思っているのか…そんな差とでも言うのでしょうか」
伸枝にとっては、自分の思考外の発想にただ驚いて
「そんな考えもあるのですか…!」
とだけ答えた。伸枝に関心を示したのか、自分の話に酔ったのか俊治はさらに話を続けた。
「ですから、東大がただの出発点だと思っている人間は、自分が東大卒なんて言葉は口にしませんよ」
と言って、少し微笑んだ。そんな俊治の微笑みに誘われるかの様に伸枝は少し不躾な質問を投げかけた。
「それで、山口さん自身はどちらに属する人間なのですか?」
「僕ですか…貴女の目にはどう映りますか」
「ろくな学歴も無い私には、とてもそんなお答えは出来ませんわ」
俊治はやや揶揄(からか)うかの様に
「そうかな、女の直感としてはどうですか?」
「女の直感なんて、そう云う高度な判断材料には向きませんわ…!」
次回に続く
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